所在地
岐阜県岐阜市伊奈波通り1-1
祭神
五十瓊敷入彦命
ひと言
『いなばには稲葉の山に稲葉川 神の御子石(みこいわ) 副(そえ)の瀧山』
因幡の名所を紹介する古い歌に、このような歌があります。
『神の御子石』は鳥取市河原町の霊石山にある石、『副の瀧山』は八頭郡智頭町駒帰付近の滝だそうです。
想像するに、遠く旅人が因幡に来て、ほっとして嬉しくなるのはやはりその土地に入ったとき(智頭町駒帰)と、あと少しで目的地に着くぞ(河原町付近)、というときだったのかなと思います。
昔の旅行が大変だった分、嬉しいときに見えたものが印象に残っていたんじゃないでしょうか。
それで、あとの稲葉山と稲葉川ですが。
これを名所と言っていいのでしょうか。語呂合わせっぽい感じもしますが。
在原行平さんが「立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む」と詠んだ歌は有名ですが、いざ因幡の国司として赴任してきたとき、「それで、稲葉山とはどの山ですか?」と不安になって聞いたんじゃないだろうか・・。(大げさか)
と、前置きが長くなりましたが、この岐阜県の伊奈波神社のある稲葉山(現金華山)を見たら、これぞ名所、といった趣なんですね。一つの岩が、もう山として圧倒的な存在感を示しています。常連の登山者も多く、地元の人に深く愛されている山でした。
この辺りは、素晴らしい岩山が多いです。郡上市には鍾乳洞もたくさんあります。
美濃国も古くから中央と強く結びついていた所でした。天武天皇が壬申の乱のとき、伊奈波神社に戦勝を祈願したという言い伝えが残っています。
この地に、強い味方がいたってことでしょうか。
伊奈波神社には道の真ん中に太鼓橋がでんっとありました。柵があり渡れませんでしたが、階段もないので、人が渡ることを想定してない橋と思います。
子供の頃神社に参拝すると、「真ん中は神様の通る場所だから」と言ってなるべく参道の端を歩かされました。また、女の人は月経があるときは「穢れている」と言って神社に行くことは許されませんでした。
今は、そんなことを言う人は誰もいません。
本来犬は神社には連れて入れませんが、今は犬のお祓いまである神社があります。
神社も参拝者の要望があってやっているのでしょうが、神様の本音は嫌だと思います。
神様は、犬はお嫌いです。
都合のいい解釈が、神様を困らせていることに、早く気づいていただきますようお願い申し上げます。
『いなばには稲葉の山に稲葉川 神の御子石(みこいわ) 副(そえ)の瀧山』
因幡の名所を紹介する古い歌に、このような歌があります。
『神の御子石』は鳥取市河原町の霊石山にある石、『副の瀧山』は八頭郡智頭町駒帰付近の滝だそうです。
想像するに、遠く旅人が因幡に来て、ほっとして嬉しくなるのはやはりその土地に入ったとき(智頭町駒帰)と、あと少しで目的地に着くぞ(河原町付近)、というときだったのかなと思います。
昔の旅行が大変だった分、嬉しいときに見えたものが印象に残っていたんじゃないでしょうか。
それで、あとの稲葉山と稲葉川ですが。
これを名所と言っていいのでしょうか。語呂合わせっぽい感じもしますが。
在原行平さんが「立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む」と詠んだ歌は有名ですが、いざ因幡の国司として赴任してきたとき、「それで、稲葉山とはどの山ですか?」と不安になって聞いたんじゃないだろうか・・。(大げさか)
と、前置きが長くなりましたが、この岐阜県の伊奈波神社のある稲葉山(現金華山)を見たら、これぞ名所、といった趣なんですね。一つの岩が、もう山として圧倒的な存在感を示しています。常連の登山者も多く、地元の人に深く愛されている山でした。
この辺りは、素晴らしい岩山が多いです。郡上市には鍾乳洞もたくさんあります。
美濃国も古くから中央と強く結びついていた所でした。天武天皇が壬申の乱のとき、伊奈波神社に戦勝を祈願したという言い伝えが残っています。
この地に、強い味方がいたってことでしょうか。
伊奈波神社には道の真ん中に太鼓橋がでんっとありました。柵があり渡れませんでしたが、階段もないので、人が渡ることを想定してない橋と思います。
子供の頃神社に参拝すると、「真ん中は神様の通る場所だから」と言ってなるべく参道の端を歩かされました。また、女の人は月経があるときは「穢れている」と言って神社に行くことは許されませんでした。
今は、そんなことを言う人は誰もいません。
本来犬は神社には連れて入れませんが、今は犬のお祓いまである神社があります。
神社も参拝者の要望があってやっているのでしょうが、神様の本音は嫌だと思います。
神様は、犬はお嫌いです。
都合のいい解釈が、神様を困らせていることに、早く気づいていただきますようお願い申し上げます。