【中国古典を詠み解く引き寄せ短歌シリーズ】第79回です。
《菜根譚》からご紹介します。
【書き下し文】
『 我、貴(とうと)くして人これを奉ずるは、此の峩冠大帯(がかんだいたい)を奉ずるなり。我、賤(いや)しくして人これを侮るは、此の布衣草履(ふいそうり)を侮るなり。
然(しか)らば則ち原(もと)より我を奉ずるにあらず、我、胡(なん)ぞ喜びを為さん。原(もと)より我を侮るにあらず、我、胡(なん)ぞ怒りを為さん。』
《 前集 169 》
【訳文】
「高位高官のために人が我を尊敬するのは、わが身につけた高い冠や大きな帯のためである。身分が低いと人が我を軽蔑するのは、わが身につけた木綿の衣服や藁の靴のためである。
そうだとすると、もともと人が我自身を尊敬するのではないから、どうして喜んでいられようか。もともと人が我自身を軽蔑するのではないから、どうして腹をたてていられようか。」
参考文献:岩波文庫《菜根譚》、講談社学術文庫《菜根譚》
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今回の一節で、ある話を思い出しました。
ある人が自治会長を務めている時に、用事で役所に行くと、職員から丁重にあいさつをされていました。
しかし、自治会長を辞めたとたんに、同じ顔見知りの職員はあいさつすらもしなくなったというのです。
当時、自治会長をやられていた方が憤慨しながら私に話していました。
このことは、役所の職員がその人自身にではなく、「自治会長」にあいさつをしていたということでしょう。
今回の一節は、役職や身なりなどの外見でその人を判断するなと説いています。
また、役職のある人への戒めにもなる言葉です。
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人格は
位だけでは
高まらず
身なりだけでは
判断できず
冠を
外した時に
本当の
人間性が
現れてくる
その人を
外見だけで
判断し
その尊さが
見えぬ愚かさ
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