泉神社の次に向かったのは大甕(おおみか)神社です。
国道6号から大きな鳥居とその奥の真新しい山門が目立つここは、日本でも有数の古来からある神社だそうです。
大甕神社の由来によると、
當社の創祀は詳らかではありませんが、社伝によれば皇紀元年(紀元前六六〇年)とあります。
鹿島・香取の二神が、服はぬ国津神・草木石類にいたるまで平定するも、唯一、甕星香々背男(みかぼしかがせお)と称する星神(せいしん)を征服することができずにおりましたところ、二神に替わって大甕(おおみか)に赴き地主神の霊力を宿魂石に封じたのが倭文神武葉槌命(しどりがみたけはつちのみこと)であったと伝えられています。
此の地の住民、国土開発と国家安寧に尽力された神として、大甕山上の古宮の地に祀り祭祀が行われておりました。時は移り、江戸期元禄八年旧暦四月九日藩命により甕星香々背男(みかぼしかがせお)の磐座、宿魂石上に遷座されてより三百年の星霜を経て今に至ります
鹿島・香取の二神が、服はぬ国津神・草木石類にいたるまで平定するも、唯一、甕星香々背男(みかぼしかがせお)と称する星神(せいしん)を征服することができずにおりましたところ、二神に替わって大甕(おおみか)に赴き地主神の霊力を宿魂石に封じたのが倭文神武葉槌命(しどりがみたけはつちのみこと)であったと伝えられています。
此の地の住民、国土開発と国家安寧に尽力された神として、大甕山上の古宮の地に祀り祭祀が行われておりました。時は移り、江戸期元禄八年旧暦四月九日藩命により甕星香々背男(みかぼしかがせお)の磐座、宿魂石上に遷座されてより三百年の星霜を経て今に至ります
倭文神はしどりがみ、または天羽槌雄紙(あめのはづちのおかみ)とも呼ばれる織物業の祖神と言われています。
この神に封じられた甕星香々背男は星神つまり星の神ですが、全国的にも星の神が祭られている神社はとても珍しいです。
もしかするとここだけかも?
もともと常陸と鹿島の地は古代神と朝廷が祭った比較的新しい神々との因縁がいろいろある土地でして、封じられている古代神を抑えているのが鹿島神宮とも天皇陛下のお勤めとも言われていますが、本当の所はどうなんでしょうね。
天皇陛下の日常業務は、ほとんどが古くから伝わる祭祀に費やされているそうです。
そのお力が衰えると大地震や災厄・天災が起きやすくなるという人もいますが、科学的論理的に説明できる事象だという人もいるし、どうなんでしょうね。
ちなみに大雑把に寺と神社の役割を説明すると、寺は仏を祭る所で、神社は古来からの災厄や祟る神を祀っておとなしくしてもらっている所です(個人的な意見です)
元々神は祟るもの、だから人に祟らないでもらうよう捧げものを供えたり、踊りや雅楽を奉納して宥めて大人しくしてもらっているそうですから。
この辺を語らせると自分でもメンドクサイので、割愛します(笑)
この山門は昨年夏(2023年)に竣工されたそうです。
ただ、不思議なことにこの笑竜の写真が撮れるまで、かなり試行錯誤しました。
どうやっても露出不足で真っ黒になってしまうんです。
何回か試して、やっと竜が目視できるよう撮れました。
良かった。
そしてこの後、神社に来たとは思えない行程を辿ることになるのです。
続く。