前のめりな自分が溶けていく | 燦々日記

燦々日記

身の丈にあった「循環型の暮らし」「身体の自分メンテナンス」を夫婦で模索中。
日々の模索と奮闘を記録的に綴ります!
地球への配慮とか、なぁーんにも考えてなかった昔の自分達への手紙でもあるのです。

左脳の声が静かーーになったら、

日々にあるアタリマエに

しみじみ(異常なくらい)感謝することが

多くなった今日この頃。

 

特に家の隣の畑にいると

感謝や愛おしさにジーンとする。

 

まだまだ朝晩の冷えがある我が地域。

 

地温があがらない中で

一生懸命成長しようとしている小さな苗たちをみながら

 

「おはよー」とか

 

「元氣に育ってね」とか

 

「調子どぉお?」とか

 

「頼りにしてますっ!!」とか(笑)

 

野菜や花、蜂たちにも自然と声をかけるようになった。

 

畑は、

自分も植物も地球の一部だし、

逆に地球も植物も土も「自分の一部」なのだなって

体感で感じられる場所。

土の上にいるとアタリマエで

大切なことを思い出させてもらえる。

 

 

そんな中で、

ずっとずっと自分の中で燻っていたスリランカへの

思いがふんわり溶けてきているのを感じる今日この頃。

 

「神様の通り道」という通称がある土地の

所有者でもあるスリランカ人の友人(男子)。

 

今は、私の友人と結婚し、日本に来て日本の会社で

パートで(外国人は正社員にはなかなかなれない)働いてる。

 

スリランカでも珍しくなった

無農薬で栽培している果樹や田んぼなど、

彼が亡きお父さんから引き継いだ土地の

素晴らしさを私も知っているだけに

彼が日本にきていることで

手付かずになって久しい土地と母家に

ヤキモキヤキモキしてた。

 

*ほんと美しい、スリランカ友人の田んぼ (写真 byオット)

 

ただ、お金の準備も含め、タイミングであり、

宇宙の計らいなのだから、進まない時期も

進めない時期も最善だとようやく思えるように

なった私。

 

20年近くもやもや燻っていた熱や想いが、

ここんところ、ようやく、

うっすら残っていた「前のめり」な燃えカス

と共にゼロになってきていた。

 

熱が冷めたとかではなく、

前のめりなエゴが抜けて中庸に立てたという感じ。

 

中庸っていいね。

変な力が入ってなくて(苦笑)

 

タネを蒔いて花の芽が出るのがそれぞれで

あるように、いろんな時間を経て

それぞれの芽が出るのを粛々と楽しみに

していればいいのねーーーって感じ。

 

もう究極は

蒔いたタネも自分自身の芽も、

表面的に出なくても

可視化できなくても

まぁそれはそれで最善なのだろうなぁって

ちょっと思えるように。

(いやいや、少しは新しい芽出てほしい!

って思ってるけど( ̄∀ ̄))

 

今を慈しんで

 

今を愛して

 

今にくつろいで

 

今を満喫して

 

野望というエゴはそっと横において

 

宇宙の流れを感じながら

今を粛々と重ねていけるって・・・幸せなんだ。

 

左脳の

「もっともっと」や

「早く早く」

「今のままでは不甲斐ない!」

「ガンガンやれぇーー」

っていう声が聞こえていたからか、

 

身の丈に合わない

股が裂けそうな

大きなことを

大きな展開を

狙っていたなーーーーー真顔

 

・・・と思う今日この頃です。

 

日々神妙・・・・真顔

 

でもなんか静かで穏やかです。指差しこれが私の本質かも。

 

左脳の声、やっぱり静かだと自分らしくいられるかも、ね。

 

あと、音霊も氣にしてみるとよいね。

 

 

 

 

 

やよ