人生100年時代にあって、折り返し地点を過ぎた。
先のことがわからないのは人生の常。
これまでの50年はそれでも「もっといいことが」
と先々に期待感を持つことができた。
ところがこれからの50年を思うと
いつ病気になるかわからない
老後の資金は足りるだろうか
誰からも相手にされない孤独な老人にならないだろうか…
もっと若いとき◯◯していれば…と
マレフィセントよろしく
若さを妬む意地悪ばあさんの道まっしぐら
…なんてことになったらイヤだなあ
そんなモヤモヤを抱えていたとき
津軽で笹餅を作って販売している
「餅ばあちゃん」こと
桑田ミサオさんのドキュメンタリーを見た
冒頭からひと懐っこい笑顔
94歳とは思えないバイタリティーが
画面越しに伝わってきた
60歳から笹餅を作り始め
75歳で起業
90歳を過ぎても現役
笹は自ら山に入って採取
あんこは小豆から自分で育てる
製粉もこしあん作りも
すべてをひとりで行っている
時代は次々流行語を生み出したが
そんな言葉を意識する必要があったろうか
ミサオさんの仕事はずっと変わらない
だけどやってることは実は時代の最先端
冬は雪かきが欠かせない津軽の景色は
どこかここ奥中山にも通じる
町に住む若者はここと同様
決して多くないことだろう
しかしそんな町のスーパーに
SNSなんてやっていない
スマホさえ持っていなさそうな
ミサオばあちゃんの笹餅を求めて
全国から人が集まってくるという
「何事も10年頑張ればそれなりの結果がでます」
「いい年をしてこんなことをしては恥ずかしいなど
決めつけないでください」
というミサオさんの言葉に強く背中を押される
ミサオさんの言葉に時折り混じる
ミサオさんのお母さまの教え
これがまた
時代を超えても色あせることがない金言
「十本の指は黄金の山」
「指さえ動かしていれば、お金に不自由することもない」
この言葉を聞いてから努めて手仕事に励んでいる
そうやって気づいたのだが
手を動かす仕事は
目も使う、身体も使う、頭も使う
結局、全身を使っている
ミサオさんのお母様は亡くなる直前まで働いていたそうだ
ミサオさんはこんなふうにも言っている
どんな神様を信じていようとも
不平不満ばかり口にしていたら
幸せにはなれない
幸せかどうかは心持ち次第
とりあえずここに十本の黄金の山がある
じっとしていても不平不満が溢れ出すだけ
時代に取り残されぬようにとか
若者についていこうとか無理はしなくていい
ミサオさんが太鼓判を押しているのだ
病気や孤独の不安はさて置き
今できることをコツコツ続けて行こう
ありがとうミサオさん
津軽の餅ばあちゃん
後半の50年もとりあえず
希望を捨てずに生きていけそうです