この前、日本に帰った時、
友人が、ご主人が肺ガンで亡くなったことを話してくれ、
「ヤヤがどんなに辛い思いをしたのか、今やっとわかった気がするんよ。
私はヤヤの友達なのに、何もしてあげなかった。 ごめんね。」 と声を詰まらせ、
そして、彼女は18歳の時にお父さんを亡くしているのですが、
今になって、お母さんの当時の気持ちが想像でき、
自分のことで精一杯で、お母さんがどんな思いでいたか、考えてもみなかったことを後悔し、
老いたお母さんと同居し、面倒を看てあげたいと、泣いていました。
“人は悲しみを知るほど、優しくなる。” とか言いますが、ほんと、そうですよね。
彼女ほど相手の気持ちを理解して苦しむ必要は、誰にもないにしても、
大事な人を亡くした経験がある人は、
相手が、どんな思いで病院のドアを潜ったか、ベット脇の椅子に座っで過ごしたか、
希望、失望を繰り返し、徐々に現実を受け入れていくことで、どんなに心が衰弱していったか、
戻って来ない相手に過去にしたこと、してあげなかったことを考え、後悔で胸をえぐられるか、
自分が再び経験しているように、相手の悲しみ、苦しみ、不安... がわかり、
思いやり、優しく出来るものです。
「○○さんのご主人、亡くなったんだって。」 と聞き、
「お気の毒。」 で済ませるか、
「○○さんを少しでも気持ちを楽にさせてあげることが、自分に出来ないか。」
と考えれるか...
同じような経験をしたことがなくても、ある程度は想像がつくものです。
ペットを失くしたことがあれば、会いたい人にもう会えない気持ちはわかるでしょう。
ある心理学者の意見では、人が夢をみる目的は、
現実にはなかなか起きない出来事に対する、精神的なリハーサルだそうです。
大事な人を失う夢をみたことがあれば、そんな出来事に直面した時の気持ち、わかるはずです。
それを相手に起こった出来事と繋ぎ合わせ、
相手の立場に立ち、気持ちを想像出来るか出来ないかは、
結局、頭の良さの違いのような気がするんです。
子供がイジメをするのは、脳がまだ充分に発達していないからで、
そして、相手の気持ちをくむことが出来ず、傷つける言動をする大人は、
あまり頭がいい人ではないのでは?
最近、仕事でいろんな人種、文化、職種、育ち方の人達と交流することがあるんですが、
どういう背景の人であろうと、優しさの違いは頭の良さの違いのように感じます。
学歴がある人が優しい人とは限らないですから、
頭の良さと言っても、もちろん、数学や国語が出来るという頭の良さではないのですが、
数学や国語と同じで、ある程度は努力や訓練で違ってくるもののように思います。
相手の気持ちを想像出来る、優しい人でいたいです。
そして、大人は、子供達のそういう想像力を伸ばしてあげるべきですよね。