ISISに殺されてしまった湯川さんの件。
皆、いろいろ思いや意見があるのでしょうが、それはあえて触れずにおき...
数日前、ビデオが出て、こちらアメリカでもニュースとなった時、
どういう成り行きで、日本人の人があんな危険なところに居たんだろう? と不思議に思い、
日本語でニュースを検索してみたんです。
去年八月の誘拐当時の、お父さんのインタビューの記事が出てきました。
70歳過ぎた親が、私と変わらない、50前の子供のことを、
「お騒がせして申し訳がない。」
「教育が間違っていた。」
と謝罪したとあり、驚いてしまったんです。
日頃、日本のニュースを追っていれば、そういうことは普通、
もしかしたら当然のこととして、なんとも思わないのかも知れませんが、
私は日本のチャンネルもとってないし、日本語のサイトはこのブログしか行かないので、
そういう日本のことをすっかり忘れてしまっていて、違和感でいっぱいでした。
あまりにも驚いたので、主人にすぐ話したのですが、
親子関係が強いモロッコ出身の主人すらも、「何それ?!」 と目をパチクリさせてました。
確かに、子供が小さい頃の親の躾や接し方が、人格の基盤となり、一生響くものですが、
20歳前後からは、子供はそれぞれ、ポジティブにしろ、ネガティブにしろ、
見るもの、読むもの、経験するもの、そして出会う人達からの影響を受けていくので、
親の管下ではなくなるのが現実ですよね。
24歳と19歳の息子がいる私は、それを実感しているところです。
湯川さんのお父さんの謝罪が、日本では常識的なことなのかどうかわかりませんが、
いくつになっても、子供がすることが親の責任となるとは、
日本の親は大変で、しんどいことのように思えてなりません。
かと言って、私はすっかりアメリカナイズされていて、
子供のことは子供のこととし、親の私には関係ないと割り切れているわけでもなく、
長男が在学中、卒業後その学校で講師をするオファーが学校から出され、
学部の卒業パーティーで、
息子が教授やディレクターに、「うちの母です。」 と紹介して回ってくれた時、
「今回、素晴らしい機会を息子に与えて頂き、ありがとうございます。」
と皆にお礼を言ったんです。
アメリカだと、そんなことを言う必要はないし、
逆に、いい年した子のことで親がお礼やお詫びを言うと、
子供が親離れしてない、未熟者の印象を、周りに与えることになるのですが、
それをわかっていても、親として、お礼を言わずにはいれなかったんです。
その辺、やっぱり日本人が抜けないです。
もし、自分の子供が何か事件を起こしたら、
子供がいくつであろうが、日本人の私は、申し訳ないという気持ちに苦しむのだろうな、
とか、今まで考えたことがないことをいろいろ考え、複雑な気持ちでいます。