亡前夫のクリスマスを追って 1 | グローバルに波乱万丈



この街にあるディズニー・ワールドのエプコットで、クリスマス時期になると、

有名人が聖書のキリストの話を読み、数百人の合唱団がクリスマスキャロルを歌う大コンサートが、

日に数回、数週間行われ、

毎年、主人がチケットの手配をし、オーストリアの友達の両親を連れて行ってあげるんですが、

毎年、お母さんも、そして頑固爺のお父さんも、感動で涙を流します。

一時間半以上かかる家路も、感動に浸ったまま、涙を浮かべたままなのだそうです。


欧米人のクリスマスへの思い入れ、クリスマスの喜び、興奮、

私が40年、50年と、アメリカで暮らし続けても、

きっと、一生理解できないものなのだと思います。


今では日本も、家の前にクリスマスのライトを飾ったり、リースを掛けたりするようですが、

どんなに欧米の真似をしたとしても、

きっと、日本人には理解できないと思います。


それは、年を越す、新年を迎える、ということへの日本人の思い入れが、

欧米人には理解できないのと同じなのでしょう。



前夫は、クリスマスがそれはそれは大好きな人でした。


街角に、クリスマスツリーやリースを売るテントが現れ、

ラジオから、クリスマスソングが24時間流れ、

近所のあちらこちらから、手作りのクッキーやキャンディーのギフトが届けられ、

恵まれない人達がクリスマスを祝えるように募金や食べ物、子供達への玩具のギフトが集められ、

パレードが行われ、ストリートや住宅が、色とりどりのクリスマスライトで飾られ...


街中が包みこまれるクリスマス・スピリットに、子供のようにわくわくする前夫の様子が、

私には面白く、不思議なほどでした。


家計ぎりぎりの生活にも関わらず、天井に届くほどの値段が張るツリーの木を買い、

私やお腹の中の子供へのプレゼントを、あれこれ買ってくることも、

頬を赤らめ、顔を輝かせる前夫の顔に、文句の言葉も失ったものです。



前夫とのクリスマスは、それが最初で最後でした。


交通事故での植物人間状態一年半後、安楽死を家族で決断した時、

もう一度だけ、前夫に大好きだったクリスマスを過ごさせてあげたい、ということが皆の願いでした。

クリスマス翌日まで、流動食を止める日を伸ばしたのでした。






つづく