大人からの些細な褒め言葉 | グローバルに波乱万丈




十二歳くらいの頃だったと思います。


玄関先で母親が応対していた、保険屋か何かのおじさんに、

「大きくなったら美人になりそうなタイプだ。」

と言われたことがありました。


当然お世辞だったのでしょうが、

もやもやした子供時代を過ごし、劣等感でいっぱいで、

クラスメート達が羨ましく、魔法が使えれば変えたいと願うところ、事ばかりで、

大人達から非を指摘され、叱られることはしょちゅうでも、褒められることはなかった私には、

そんな些細なお世辞がとても嬉しく、支えみたいなものとなり、

だから、三十年以上経った今でも、その玄関のシーンが記憶に残っているのでしょう。


そんな子供頃の私を哀れに思います。




数年前、オーストリアの友達の弟が、両親のフロリダの別荘に、

十二歳だった、彼のひとり息子を連れてきました。


私がその子に会ったのは、その時が始めてでしたが、

まだ英語ができず、少し離れたところにあるソファーの端に頭をちょこんと乗せ、

私達がお喋りしているのを聞いていたその子は、

時々、私が微笑んだり、簡単な英語で声をかけると、

その度、何も言わず、ニッコリマークみたいな可愛らしいスマイルを返してくれました。



その夏のすぐ後、その子は反抗期に入り、問題を起こし始め、

父親である、友達の弟が頭を抱えているという話が耳に入るようになり、

友達の弟とチャットする機会があった時、私は何も知らないふりをし、彼の息子のことを褒めました。


こういう時、親は子供のいいところが見えなくなり勝ちですから、

人から子供の長所を思い出してもらうことで、希望の光が見てて来たりしますからね。

(経験者語る。)


夏にその子と英語で会話できたわけではなく、その子のことを知ることができなかったので、

彼の可愛らしい笑顔を褒めたんです。

「貴方の息子、笑顔が最高よね。 こちらまで幸せにしてくれるわ。 私、とても好きだったわ。」







それから二年後、おとどしの夏、私達がオーストリアを訪れ、

友達の親戚一同と、アルプスのふもとの村に遊びに行った時、

ナチスが宝を沈めたというウワサの湖に向かって、いくつかのグループに分かれ、山道を歩きながら、

私は、片言の英語を喋るようになっていたその子と、その子のいとこの女の子と、

三人でお喋りをしながら歩いていました。


お喋りと言っても、私が 「どの映画が好き?」 と訊き、その子達が映画のタイトルを言い、

「私も!」 と返すような簡単な英語のやり取りですが、

打ち解けてくれたようで、その子、突然、照れくさそうに、

“WHY YOU SAY YOU LIKE MY SMILE?”  「どうして、僕の笑顔を好きだと言うの?」

と、ブロークンな英語で訊いてきたんです。


一瞬、私はなんのことが分からなかったのですが、

友達の弟が、私が数年前に言ったことを息子に伝えたのだと悟り、


「そうよ! 学校の女の子達から言われない? 笑顔が可愛いって。 

だから、そんな顔が隠れるジャスティン・ビーバー (アイドル歌手) 髪型やめて、

散髪して、素敵な笑顔をもっと見せびらかしなさいってば。」


と二人を笑わせたのですが、

「大きくなったら美人になる...」 と言われて嬉しかった、昔の自分とその子が重なったんです。



その子の両親は、離婚のどたばたが数年続いていて、

子供の気持ちを考える気持ちの余裕がなかったのかも知れません。


オーストリアの学校教育も、教師は意張りがちで、生徒を誉めることをしないと聞きますし、

特に成績のいいわけではないその子は、単なる “その他大勢” の生徒扱いなのかも知れません。


その子にとっても、私の些細な、褒め言葉が嬉しく、

そして、もしかしたら、支えみたいなものになったのかも知れません。




この夏、主人と二人でレンタカーを借り、チェコを旅する予定にしているのですが、

オーストリアの皆のところを訪れることになっています。


また、笑顔を含め、いろいろ褒めてやるつもりです。

本当に褒めるところがたくさんある、いい子ですし。