イチャモンつけてくる外国人達 | グローバルに波乱万丈
 




先週の日曜日、レストラン・カフェでお茶をしながら、友達に、


うちのゲイの姪っ子の奥さんは、妊娠したくないので、

二人目の子供は、彼女の奥さんの卵子を体外受精させ、姪っ子が再び妊娠する計画...


と話していると、


友達は突然、「奥さんが妊娠したくないからって理由は、私はちょっとひっかかるな。」 と批判。

彼女は典型的な討論好きフランス人ですから、時々、討論のきっかけ作りにイチャモンつけてくるんですよ。


毎週日曜の朝、そのレストラン・カフェの大きなテーブルを囲み、

街のフランス人をメインにした十人くらいが、テーブルをばんばん拳で叩きながら、討論会をやってます。



外国人は討論が好きです。

ゲームのようなものなんです。


(これを勘違いして、ずけずけ、ストレートにものを言うことが外人っぽいと、マネする日本人がいるそうですが。)



主人の友達のモロッコ人にも、ワインの飲めば、口争いを吹っかけてくるのがいます。

大学院の学位を二つ持った、銀行のお偉いさんなので、手ごわい討論相手で、

いつも私が強い意見を持つトピックスを持ち出し、私がムキになる姿を面白がるんですよ、まったく。


私がアグノスティック・エイシエスト (証明されてない神の存在を疑う者) とよーく知り、

イスラム教徒の彼は、カリブ海のバルベドス島出身の熱心なキリスト教徒の友達を横に並べ、

ニタニタ笑いながら、「さあ、ヤヤ。 宗教について語ろう!」 と始めるような人ですから。


彼は、本当は賛成でも、討論を面白くするために、わざと反対のふりさえします。



南米のガイアナ出身の友達も、子供の頃、お父さんとお兄さん達と反対派、賛成派に分かれ、

食事の後、討論を白熱させるのが楽しかったと言います。



アメリカの学校には討論クラブがありますし、次男の中学校には討論の調停、仲裁を学ぶクラスすらありました。



討論は、テンポが速いやり取りの中、相手の言うことをきちんと聞き、

相手の意見を反映する筋の通った意見を一瞬にまとめ、ポイントを明確にして挙げなくてはいけませんから、

感情的になると負けてしまいます。


そして、爽やかな負け方が大事です。

あくまでもゲームですから、引く時は引き、負けをきっぱり認めることも大事です。 


また、 “LET’S AGREE TO DISAGREE.” (賛成できないことを賛成しよう。)

と締めくくってもいいんです。


とにかく根に持ってはいけません。



自分の言い分を通したい、自分の意見を曲げたくない、というのが人の性でしょうが、

それをコントロールしながら、相手の意見に耳を傾け、考慮する努力をし、時には自分の非、間違いも認め、

相手の違う意見、考え、私見を尊重することができなくてはいけません。




正直言って、大事に想っている姪っ子のことに反論してきた友達に、一瞬ムっとしましたが、

ムキにならず、冷静に彼女の意見を聞き、考え、自分の意見も明確に並べ、


最後は、確かに妊娠できるのに費用のかかる体外受精をするのは、無駄なことだけど、

税金ではなく、ゲイ妊娠をサポートする個人団体が出してくれるのだから、いいのではないか、


ということで二人とも納得し、さっと切り替え、次の話題に進みました。



意見や私見が違おうが、友情には影響しないんです。 

実際、彼女はオバマ大統領に批判的なリパブリカン党派、私はオバマ・サポーターのデモクラット党派ですし、

半分ユダヤ人の彼女のイスラエルとパレスチナの意見は、私の意見とは全く違うんですが、

それでも、私と彼女は長いつき合いの親友なんです。




いつか読んだ、アメリカのコミュニケーション学者による、日本人とアメリカ人の会話の違いの研究発表に、

和を重んじる日本人は、自分の感情、考えを示し、相手の意見に反論することは好ましくないこととする、

とありました。

特に目上の人が相手だと、それほど賛成じゃあなくても、その場の雰囲気を壊さないために、同意のふりしますよね。

あまり意見を述べると、口が達者だとか、生意気だと言われますし。



そんな日本人だからこそ、つき合いが気持ちがよく、とてもいい印象なのですが、

自分の感情、考えを押し殺し、表現する機会がないのは、精神的に不健康なような気がします。

だから、日本人は酔っ払う人が多いのですかね。 酔った勢いで言いたいこと言って、発散するのでしょうか。

今は、変なところで、関係ない人を相手に切れる人が多いと聞きますし。

(意地悪コメントも似たような心理かも知れませんね。) 


それに、自分の意見を表現するコミュニケーション術が磨けないし、

感情的にならず、冷静さを保つという訓練のいいチャンスを逃すことになるし、

自分とは違う人達を受け入れる寛容さも、育たないし。


大体、違う意見を聞くことは学ぶことが多く、視野を広め、成長するいい機会にもなります。 




日本はそういう文化だから変わることは難しいし、変わるべきかどうかも分かりませんが、

せめて、家庭内では子供達に自分の意見、考えを発言させてあげ、聞いてあげるのがいいのかも知れませんね。


うちの息子達にも、間違ったことをしても頭ごなしに叱らず、

どうしてやったのか、どういう理由があるのか、どう思ってのことだったのか、説明させてました。

大抵、発言のために自分の行動を分析し、頭の中で考えをまとめているうち、自分が間違っていたと気がつくようでした。


まあ、脳のコネクションがはちゃめちゃになっているティーネイジャー相手だと、まともな討論は無理なんですがね。

判断力が狂ってますし、意味なく感情的になって、自分でも何を言っているのかわからなくなるようで。

でも、まあ、理解しようとしている “フリ” は大切でしょうね。 (苦笑)