格好つけて贈った一冊の本 3 | グローバルに波乱万丈






出かけて人に会うのが、嫌になってしまった時期がありました。

英語もちゃんとしゃべれないし、気の利いた会話などできないし、ずっとうちの中に篭っていたい気持ちでした。


でも、小さな私立に通う息子達には、母親同士が知り合いでないとクラスメートの誕生日会やお泊り会の誘いは入らず、

迎えの時間の駐車場でのお母さん達の輪に、どきどきしながら近寄り、引きつった笑顔で挨拶を始めました。 

遠足の引率をし、バザーの手伝いをし、カフェテリアでランチ作りのボランティアも引き受けました。

息子達の嬉しそうな顔が見たかったのです。

仕舞いには、佐々木貞子さんの千羽鶴について習う四年生のクラスで、祖母の原爆体験を話している自分がいました。



子供が起きている間は決して教科書を開かないと自分に誓っていましたから、一学期に二教科しか取れませんでしたが、

学期が終わる度に少しだけ賢くなったような感覚が嬉しく、母親学生を6年以上続けました。




テニスクラブで、フランス人のお母さん達グループに、一人、私に話しかけてくれる人がいました。

パリ出身のお洒落な、頭の切れる実業家の人で、憧れの先輩が声をかけてくれたかのように胸を躍らせたものです。

彼女にとっては、子供達のレッスン中の時間つぶしだったのでしょうけれど。

そのうち、彼女の息子さん達も私の長男もテニスを止めてしまい、彼女に会うことはなくなってしまいました。


それから数年後、長男が合格した高校のプログラムの説明会で、ばったり彼女に再会したのです。

不意打ちだったし、息子や息子の友達のお母さんも一緒だったので、私は装うこともできず、

そのままの自分で彼女と話をすることになってしまいました。


“あら? この人って、こんな人だったかしら?” とでも思っているように、彼女の顔が明るくなったのを覚えています。

「お茶でもしましょうよ。」 と誘われ、電話番号の交換をし、

私は舞い上がるような気持ちで、S・O・P・H・I・E と彼女の名前を携帯に打ち込み、

彼女の電話番号が入ったその電話が、まるで宝物のような大切に感じました。



それからは、そのままの自分でいることに決めたのです。 

10年近く経った今も、彼女とのお茶は続いています。 

時には、夫婦四人で出かけたり、彼女の湖岸や我が家のデッキでワインを飲んだりします。


彼女は、「こんなことを言えるのはヤヤだけだわ。 貴女は気取りのない人だから、私も気取らなくてもいいの。

それに、私のことも私の家族のことも、貴女は絶対に批判などしないと確信があるから。」

と言ってくれます。

彼女にそんなことを言われると、自分のことを好きになってもいいかな、と思えるのです。




大晦日の夜、長男と次男の友達が四十人くらい、うちのデッキにカウントダウンに集まりました。


昔の私みたいに背中を丸め、誰とどう会話をしていいのかわからない様子で隅に突っ立っている子達の腕を取り、

日本に交換留学に行った子を、日本のアニメ好きな子に紹介し、

9歳でチェスで全米チャンピオンになった子を、チェスクラブだった子に紹介し、

高校で物理が得意な子を、大学でエンジニア専攻している子に紹介し、


皆が楽しい時間を過ごせる手伝いができた自分が、好きでした。

そして、自分のことが好きと思えようになった自分が、好きでした。




少し前のことです。 

いつも主人と行くベーグル屋さんで、

記憶の隅に残る、かすかに残るインド系の人のようなアクセントのかすれた声が、聞こえてきたのです。

あのネパール人の彼女でした。


その後、彼女とは何度か手紙を交換しましたが、Eメールもフェイスブックもない時代ですし、

私の名前も住所も変わり、連絡が途絶えてしまっていたのです。


彼女は、目の辺りに少しシワができていましたが、相変わらずハっとするほど綺麗で、すぐに彼女とわかりましたが、

ピンと背中を伸ばし、まっすぐ目を見て話す私に、彼女は 「え? ヤヤなの?」 と当惑した様子でした。


数年前にアメリカに戻ってきて、今はビジネスの博士号を取るためにリサーチをしていると言う彼女に、

「やっぱり、私は一生、貴女には追いつけないわね。」 と愉快そうに笑う私を、彼女は不思議そうに見ていました。


どう見ても父親が違う14歳くらいの男の子と2歳くらいの女の子と一緒で、その後、彼女もいろいろあったのでしょう。


そう言えば、テニスコーチの主人の友達の話だと、

テニスクラブのお金持ちのフランス人の子供達は、今ではドラッグ中毒やギャングに入って行方不明なんだそうです。

最近、そのフランス人のお母さん達と、席を一緒にする機会がありましたが、

綺麗で立派な彼女達も、大なれ小なれ、同じように子供のことで悩む母親であり、

同じように弱さ強さを秘めた人達であることを知り、なんだか愛おしく感じられ、

もうオーラは見えませんでした。 

単に、私が頭の中で作り上げてたオーラだったのでしょう。



ネパール人の彼女のオーラも、消えていました。

私は男の子が退屈するのが可哀そうで、その子が好きなテニスの話だけをし、

「そのうち、ゆっくり話をしようね。」 と電話番号を交換して別れました。

タイミングが合わず、彼女とはそれっきりになっていますが、私はこのままでもいいんです。


あの時の私はもう何処にも居ず、

誰も見上げることもなく、過去の私自身を含めて、誰も見下げることもなく、まっすぐ見つめる私が居ます。




格好つけて贈ったあの本、図書館のサイトで見つけたのでリクエストしておきました。

さて、今の私には読めるかしら?