記憶の奥にしまった幼年期 | グローバルに波乱万丈







押入れの奥には、頼んでもいないのに送られてきた、写真アルバムがほこりを被っている。 


もう十年以上前からあるけど、開いたこと、一度もない。

主人も息子達も、子供の私を見たこと、一度もない。


近所の友達とした遊び、得意だった科目、放課後に寄ったお菓子屋さん...

主人のように息子達に聞かせること、一切ない。 




祖国から遠い国に住む私は、昔の同級生とばったり出会うこともなく、

街角で、子供の頃に流行った曲を耳にすることもなく、


この25年間近く、周りには昔を思い出させるものはなく、前だけ向いてやってきた。





出会った時、主人が言った。 

「12歳の頃が一番楽しかった。 あの頃に戻りたいな。」 


12歳の頃? 一番しんどかった。

事情が分かり始め、かと言って思いや意見は表現できず、胸の中に溜まっていく。

どうして呼吸が苦しいのか分からず、医者に診てもらったこともあった。


私は、絶対に戻りたくない。 


 
幼年期に戻りたくなんかない。 やっと終わって清々してるのに。




昔のこと、あまり覚えていない。

記憶の奥の奥に仕舞い込んで、鍵をかけているから。



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デッキで満開のジャスミンの香りに、鍵がゆるんでしまったよう。



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ジャスミンの香り。


少女だった私、香りが漂う、小さな花がたくさん咲く木を見ていた。


キン... キンモクセイ?


小学校から帰り道、塀の向こう側の黄色い花。


そう、サカミさん。


「私、金木犀、大好き!」 と、目を瞑って、キラキラしながら、胸いっぱいに香りを嗅いでいた同級生。



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内気で陰気な子供だった私は、

キャンディ・キャンディのように、長靴下のピッピのように、明るいその女の子が、

こっそり好きだった。 憧れだった。


彼女のような笑顔をする女の子になりたかった。




両親の仲が悪いこと、うちが貧乏なこと、胸を痛めて幼年期を過ごした。


「お父さんの給料が少ないけぇ。」

「結婚なんかするもんじゃない。 不幸のもと。」

「あんたら、子供達のために我慢しとるんよ。」

「私、いつ死んでもいいんじゃけぇ。」


涙を流す母親の愚痴を、いつもじっと目を伏せて聞いていた。




親の喧嘩が始まり、弟達が自分達の部屋に駆け上がっても、いつも私はソファーにじっと座っていた。

小さいながらも、娘の私がそこに居ることで、親の喧嘩は悪化しないことを知っていた。



いつも先生と親に 「忘れ物が多い。」 と、黙って叱られた。

社会見学のお金、給食費、先生に何度言われても、母親にお金を頼むことができなかった。




“YOU NEVER KNOW WHAT GOES BEHIND CLOSED DOORS.”

(閉じられたドアの裏側で起ることは、傍からは誰にも分からないもの。)


そんなものだと知らず、小さな世界に住んでいたあの頃の私は、

この世の中で、こんな悲惨な家庭はうちだけと思っていた。



友達、クラスメート、皆が、とても幸せそうに見え、羨ましく、自分のうちのことが恥ずかしく、

六年生の時、“お母さんがどこに行ったのかわからない。” と日記帳書いて先生に提出するまで、

誰にも明かすこともなく、ずっと胸の中に押し込んでいた。




中学生で、近所のおばさん達から “不良娘” 陰でと呼ばれるようになるまで、

どんよりとした子供だった。


母親が哀れで仕方なかった。 母親を悲しませる父親が憎かった。





子供のために我慢しなくてよくなった今でも、両親はまだ一緒にいる。

今考えると、うちは持ち家で、建て増し、建て替えをしたし、旅行にも行っていた。


何がなんだか分からない。



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20年前、フロリダに来た時、

私のことを知る人は一人もいないこの街で、私はサカミさんのような笑顔をする人として生きることに決めた。


今では、皆、私のことを、いつだってニコニコしてるHAPPYな人だと言う。

丸顔の私の笑顔は、陽の中で輝くヒマワリを思い出させると言う人もいる。




私には、幼年期の記憶など要らない。 写真など見たくない。 

キャンディ・キャンディのような、長靴下のピッピのような、明るい人のままでいたい。 



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