回顧録: 息子への手紙 21 | グローバルに波乱万丈

Dear MY SON、

貴方を連れ、ノルウェイ人の彼に会いに再びパリに向かいました。 夏のパリを歩く私達三人は、傍から見たら観光客の親子に見えたことでしょう。 

ある日、彼はバカンス中のパリジャンのアパートをレンタルしているハーバード時代の友達が開くパーティーに出かけ、数時間後に少しほろ酔い気味で戻ってきて、私に言いました。 

「君が待っているからって、早めに帰ってきたんだ。」

「え? 私のこと、友達に話したの? 私のこと... どう...友達に説明したの?」と、ときめきでうわずった声で私は聞きました。

「“LOVER”、“僕の可愛いLOVER”。」と、愉快そうに微笑みながら彼は答えました。

当時、話題になっていた映画「L’AMANT」 (THE LOVER)を洒落て、そう答えたでしょう。 植民地時代のベトナムで、年上のお金持ちの中国人と貧乏なフランス人の少女の禁じられた恋の話。 将来などない、間違った恋の話でした。

“恋人”という返事を期待していた私は愕然としたわ。 彼に微笑み返すことはできなかった。 沈んでいく私の心に彼は気がついたのでしょう。 真面目な顔をして、少し申し訳なさそうに彼は言いました。

「僕には大きな期待がかかっている。 両親や周りの人達の期待を裏切るわけにはいかないんだ。」

彼が省いた言葉が、私にはすぐにわかったわ。 “君は子持ちだし... アジア人だし... ハーバードの大学院を出たような僕や僕の周りの人達のように教養などないし...”  

愚かな私。 なに、夢見ていたんでしょうね。 義父の言葉が浮かんできました。 

「日本人女性と遊びたい男はたくさんいる。 でも、結婚したい男はそんなにいないだろう。」

喉を掴まれたような痛みで息ができなくなり、泣き喚きたかった。 でも、そんな衝動を抑えて微笑み、精一杯おどけた顔をして言いました。

「わかっているわ、そんなこと。 今の時間を一緒に楽しく過ごせたら、それでいいじゃない。」

せめて、プライドだけは守りたかった。 振られたくなかった。 自分も結婚などこれっぽちも頭になかったふりをし、自分自身にもそう思い込ませようとしたわ。 子持ちで振られるなんて、惨め過ぎるもの。 

近々イギリスに行く用があるから、私のロンドンのアパートに寄ると言う彼に、パリの駅で笑顔で明るく別れを言い、再び貴方とロンドンに向かう列車に乗りました。 前回と同じ経路なのに、とてもとても長い、憂鬱な道のりでした。 フェリーの窓から見るドーバー海峡はどんよりとし、打ち立つ波に恐怖感すら感じたわ。 

列車の中は、ユーレイルパスでヨーロッパをバックパックで周っている若者でいっぱいでした。 笑い声と共にいろんな国の言葉が楽しそうに飛び交う中、小さな子供を連れてぽつんと黙って座っているアジア人の私は、きっと彼らには奇妙に映ったことでしょう。 その頃の私と大して年が変わらない、気ままに旅をする若者達が恨めしかったわ。

“旅を終えた時、この人達には帰るところがあるのよね。 帰りを待ってくれている人達がいるのよね。”

そんなことを思いながら、彼らの無邪気な顔をうつろに眺めていたわ。

続きは次の手紙で...


Love、MOM


追伸

貴方もまだいくつか恋をし、そして胸を引き裂かれるような思いもするのかしらね。 切ないわ。 できることなら、貴方の心にも相手の心にも傷が残ることのない恋をしてください。 I love you with all my heart, and I will always love you no matter what. You are my son forever and ever.