回顧録: 息子への手紙 20 | グローバルに波乱万丈
Dear MY SON、

オーストリアには、私が15歳の時から仲良くしていた二家族がいたの。 お父さん達と仕事で日本に来てた時に知り合ったんだけど、招待されてオーストリアのザルツブルクに近い、遠くにアルプスの山々が聳えるドナウ川の支流が流れる彼らの街に遊びに行った時、私と年が近い息子達と仲良くなり、それ以来、文通したり、夏にお互いの家に遊びに行ったりする関係だったの。
                             
グローバルに波乱万丈、グローバルに幸せ


一人の方の息子とは、一時“恋人”でした。 インターネットはない時代だし、恋人と言っても、お互いつたない英語でのラブレターをエアメールで交換するくらいのことだったんだけどね。 愚かなティーネイジャーの頃の話。 外国、外国人への憧れと恋を混乱していただけなのでしょう。 シューベルトもその街に魅せられ、「ピアノ五重奏曲“ます”」を作曲したと言われています。 きっと私も、そんな物語の中のような街に魅せられ、金髪のヒスイ色の目をした男の子と恋する自分に酔ってだけだったのでしょう。 数年つきあった後、私はさっさと身近に好きな人を作り、残酷なほど淡々と手紙で彼に別れを告げたの。 それは彼のお母さんがガンで亡くなった直後でした。 


グローバルに波乱万丈、グローバルに幸せ

「君が必要なんだ。 僕を一人にしないで。」 

それから何ヶ月もの間、毎日のように届く彼からの手紙を私はゴミ箱に捨て、新しい恋人との時間に夢中で彼のことなど考えることもなかったわ。  

大切な人を亡くした虚ろな孤独、喪失感。 そんな思いをしたことがなかったその頃の私は、彼の心を思いやることができなかった。 17歳で母親を失うなんて、夫を失った私の経験よりも精神的に辛かったことでしょう。 手紙の返事を書いて、少しでも心を楽にしたあげる努力をすればよかったのに。 優しさに欠けてい私でした。 彼はその後、狂ったように勉強に専念し、25歳にして工学の博士号を修得したわ。 彼の心はどこか本当に狂ってしまっていたのかも知れません。


私がロンドンに居た当時、彼はウィーンの大学で助教授をしていたの。 結婚して生まれたばかりの赤ちゃんもいました。 奥さんとは以前にも会ったことがあったから、彼女にも会いたくて貴方を連れてロンドンからウィーンに向かったの。 私達を温かく迎え入れてくれ、奥さんと一緒に貴方と赤ちゃんを連れてシェーンブルン宮殿の公園をおしゃべりしながら散歩したり、シュタットパークのあひる達に夕飯の残りのパンを上げに行ったりして、楽しく過ごしたわ。 

ウィーンでのある夜、バルセロナ・オリンピックの開会式で日本の音楽家、坂本龍一が作曲したテーマ曲を指揮するのを、彼と奥さんと観たのを覚えているわ。 その夜じゃあなかったかしら。 貴方や奥さんが寝た後、突然、本棚から大きな袋を取り出して、彼は私に聞いたの。

「何が入っていると思う? 君が送ってくれた手紙、全部だよ。 君が近くにいるようで、ずっと僕のそばに置いていたんだよ。」

私はショックで、言葉が見つからなかったわ。 

「君への気持ちは昔と変わらない。 ずっと愛し続けてきたんだよ。」 

普通の状態なら、少しはいい気分になっていたかも知れないわ。 昔の恋人が結婚しても自分のことを忘れることができず、想い続けていたなんて。 でも、それは前夫の父親とのことがあった直後のこと。 その頃はまだ、「私は義父を誘惑なんかしていない。 私は何も悪いことはしてない。」と叫ぼうとするのに声が出ない、そんな夢に毎晩うなされていた時でした。 

「この何年間、貴方は自分の中で思うように私のイメージを作り上げきたの。 それは本当の私じゃないのよ。 貴方が愛しているのは私のイメージ。 私じゃないのよ。 お願いだから、私のこと、そっとしておいて。」

そう彼に告げたわ。

でも彼は、私の気持ちを無視し、奥さんや父親に私への想いを伝えてしまったの。 私を責めることもなく、涙を流し続しながら私を見つめる奥さん。 離婚になり孫に会えなくなることを恐れ、声を詰まらせる彼のお父さん。 たまらなくなって、私は彼に何も言わずにロンドンへ逃げ帰ったわ。

ロンドンのアパートに、また毎日のように彼からの手紙が届きました。 

「僕には君が必要なんだ。」

やっぱり返事は書かなかった。 返事を書かなかった過去の自分を後悔したけど、その時は彼のことを思いやって書かなかったの。 私は彼の人生から消えてしまうべき。 それが一番の優しさだと思ったの。


のちに、彼のお父さんから、「息子に近寄らないでくれ。」という手紙が届きました。 私のことを“日本人の娘”と15歳の時から可愛がってくれたお父さんでした。 腕を組んで一緒にマーケットにパンを買いに行ったり、アルプスの山を笑いながら歩いた夏の日々を思い、同行したイタリアへの家族旅行を思い、大切な沢山の思い出を思い... 目を瞑って、胸の痛みを堪えたわ。 

私は彼が私のことを想い続けていたなんて、本当に全く知らなかった。 もし知っていたなら、あの時ウィーンに行かなかった。 未亡人だからって、私は人の旦那さんを誘惑するような女じゃない。 

でも、前夫の父親の私への気持ちが家族に知られた時のように、よそ者の私が悪者、未亡人の私のせい... そういうことにすれば、家族は丸く収まる。 未亡人の私が息子をたぶらかした。 彼のお父さんはそう信じたかったのでしょう。 息子には非はなかったと信じたい父親の気持ちを思い、返事を書くこともなく、その後18年間、彼、お父さん、そしてオーストリアの全ての友達の前から姿を消したの。 大切な沢山の思い出は、記憶の奥の方に追いやって過ごしたわ。


18年経ち、最近になって初めてお父さんに手紙の返事を書きました。 “私は人の旦那さんを誘惑するような女じゃありません。”と。 それで、彼とのこと、義父とのこと、長い間心の隅っこでわだかまっていたものが、ふうっと消えていったようでした。 

彼のことを知る友達の話だと、彼は離婚をし、最近までアジア系のカジキスタン人の画家とつき合っていたそうです。 目を疑うほど、私によく似た人だったそうです。 彼の心は今でも狂ったままで、私のイメージを作り続けているのかも知れません。

続きは次の手紙で...


Love、MOM


追伸

貴方達を悲しませたくないから、私はまだまだ死にたくないわ。 でもね。 私は精一杯生きているの。 それに、年をとり、こんなにも愛することができるお父さんや貴方達との人生に、いつか終わりが来たとしても、きっと後悔はないわ。 だから、私が逝っても悲しまないで。 そして、貴方も精一杯、貴方の人生を生きてください。 I love you with all my heart, and I will always love you no matter what. You are my son forever and ever.