回顧録: 息子への手紙 18 | グローバルに波乱万丈

Dear MY SON、

実家は居心地が悪かったし、すぐにマンションを借りるつもりでした。 独身時代に住み慣れた街中に住み、貴方を保育園に入れて、なんとか日常会話くらいはしゃべれるようになった英語で、仕事をみつけるつもりでした。 

以前マンションを借りたことのある不動産に行きました。 

「住居者は?」  「私と息子です。」

「ご主人は?」  「事故で亡くしました。」

「息子さん、おいくつ?」  「二歳です。」

「お仕事は?」  「アメリカから帰ってきたばかりなので、これから探すところです。」

貸せるアパートはないと、冷たく断られました。 夫なし、職なし、その上、小さな子供持ち。 なにが理由であろうと、シングル・マザーは蔑まれ、信用されない時代でした。 アメリカで事故で主人を亡くしたと説明しても、信じてもらえてはない様子で、見下けた態度をされたわ。 どう思われていたのかしらね。 結婚もせずに外人の子を産んだ、愚かな女とでも思われたのでしょうか。 でも、女性が結婚せずに子供を持つ人生を選んだとして、どこが悪いのかしら。 アメリカじゃあ、それも女性の一つの生き方よね。 男女平等からはほど遠い、そんな時代の日本でした。 

何件不動産を廻ったでしょうか。 20件、30件... どこも同じ答えでした。 銀行の口座の残高を見せても、保証人を立てても、家賃を前払いしても、私のような条件の者にマンション貸してくれるところはありませんでした。  

マンションが決まらないと、保育所も決めれない。 保育所が決まらないと、仕事探しもできない。 仕事がないとマンションを貸してもらえない。 “どうしろって言うの?”って、叫びたかったわ。
 

昔、高校の帰り道に母子寮がありました。 古いアパートの狭い通路で古着を着た子供達が遊んでいるのを、皆哀れそうに見ながら通っていたわ。 私は母子寮には入りたくなかった。 貴方をそんなふうに人から見られる子供にはさせたくはなかった。 

高校生の時の私も、母子寮の横を通りながら夫のいない母親達を見下げた目で見ていたのかしら? そこの母親達も、いろんな事情でそういう状態になっていたのにね。 自分が同じ立場になって、やっとそのことに気がつくなんて、なんて情けないんでしょう。 


とぼろぼと街を歩きながら、涙が出てきたわ。 昔住んでいた私の街。 アメリカであれだけ恋しく想った街なのに、まるで、仲良しだった友達から突然そっぽを向かれたような、いたたまれなく悲しい気持ちでした。 

最後に入った不動産のカウンターに、人の良さそうなおばさんが出てきました。 カウンターに座り、優しそうなおばさんの顔を見ると言葉は出ず、ただ涙がぼろぼろと流れてきました。 泣きながら、おばさんに事情を話したの。 おばさん、可哀想がってくれたわ。 それだけでも嬉しかった。 人の優しさに飢えていたんでしょうね。
 
おばさん、何人かマンションの大屋さんに電話を入れ、私のことを説明してくれたの。 でも、やっぱりどの大家さんからも断られたわ。 「借りるのは無理だから、マンション買うしかないのかも。」と、おばさんに言われました。 

そう言われ、駅前に数ヶ月で完成のマンションを買うつもりになっていたの。 値段も調べることもなく、予約金などの手続きなどもせず、何を考えていたのでしょうね。 でも、貴方を育てる場所が決まったようで、安堵感のような、とりあえず責任を果たしたような思いで、少し気が楽になっていたわ。 

問題はマンションが完成するまでの数ヶ月を、どう過ごすかでした。 居心地の悪い実家を、一時でも早く出たかったの。 当時、高校時代の友達がロンドンに住んでいました。 連絡してみると、彼女は、「気晴らしに、少しの間うちにおいで。」と、彼女の小さなフラット(アパート)に私と貴方を快く招待してくれたわ。 あの時、私に手を差し伸べてくれたのは彼女だけだった。 


今ではそれほど話の合う、気の合う友達ではなくなってしまったけれど、日本に帰る度、お土産いっぱい持って必ず彼女に会いに行くの。 彼女のあの時の優しさ、一生忘れないわ。


飛行機で出会ったノルウェイ人の彼から、連絡がありました。 彼は、すでにある業界では世界でトップの会社のオスロ支部で就職が決まっていました。 ハーバードの大学院の卒業式の後、仕事を始める前にギリシャ人のクラスメートの父親の地中海の島で一ヶ月ほど過ごすことになり、その前にパリに寄る計画だと。 そして、「パリでまた、君に会えたらいいな。」と。

続きは次の手紙で...


Love、MOM


追伸

誰もが背を向けたとしても、無条件で手を差し伸べてくれるのが本当の友達です。 貴方もそんな友達でいてください。 I love you with all my heart, and I will always love you no matter what. You are my son forever and ever.