英語ができない人を見下す | グローバルに波乱万丈

ここで道路の舗装やオレンジ摘みなどの労働をしているのは、大抵英語がしゃべれないメキシコ人の人達。

カンカン照りのフロリダの太陽の下、小柄で真っ黒く日焼けしたメキシコ人の人達が、歩道の芝刈りをしています。 本当によく働く人達です。


モロッコ人、そしていろんな国の人のお話



私は通りがかりに大きな声で、「グッド・モーニング!」。 笑顔で挨拶します。 

メキシコ人の人達、一瞬ビックリしてキョトンとした顔。 挨拶をしてくる人なんていないのでしょう。

照れくさそうに、恥ずかしそうに、小さな声でスペイン語なまりの「グッド・モーニング」。 

でも、嬉しそう。



そんなメキシコ人の人達を、この国の多くの人達は見下しています。
 



街にあるアジア食品スーパーマーケットで、吐き気がするほど腹の立つことがありました。 シーフードのコーナーで、海老を買うために順番を待っていた時のことでした。 

三十代のアジア人のカップルの番でした。 女の人、ジーンズにTシャツ、チューインガム。 一生懸命アメリカ人っぽくしているのだろうけど、なんだか不自然。 

カウンターにはいつもの物静かな小柄なアジア人のおじさん。 ちょっと色が黒いから東南アジア人かも。


余り英語が上手ではない人なので、私はいつも手のモーション付きで、

「すみません。 この海老を2パウンドください。 あと、できたら、そこの氷を少し入れておいてください。」

などと、お願いします。 


真面目で微笑まないおじさん。 何も言わずに海老をニ、三匹多めに入れてくれます。



そのカップルの女の人、並べてある魚一匹を三枚下ろしにと注文したのだが、おじさんには通じませんでした。 彼女はため息をついて、馬鹿にしたようにわざとゆっくりと注文を繰り返したのです。


「こーのーさーかーな、さーんーまーい、おーろーし。 わかるっ?!」


旦那さんの方を見て、大袈裟にヤレヤレという皮肉ったしぐさをしました。



彼女の英語にもかなりアクセントがありました。 少し英語ができるようになったからって、高いヒールを履いてアメリカ人のような高さだからって、英語ができない人を見下すなんて。 それもアジア人同士で。

彼女だって、つたない英語のせいでため息をつかれたり、馬鹿にしたように繰り返された時期があったはず。

私は昔の自分を思いました。 その場では気にしてない振りをしておいて、陰で何度悔し涙を流したことだろうか。



無性に腹が立ちましたが、目を伏せ、息を止めて、時間が経つのを待ちました。 

おじさん、棚に並んだ魚の一匹を掴んだのでしょう。 ハイヒールを履いたその女の人は、


「その魚じゃなくて、もっと小さいのにして! アンタみたいな小さいのでいいのよ。」



そして、旦那さんの方を見て、まるで自分がとても面白いことを言ったかのように大笑いをしたのです。

私は海老を買ないまま、その場を立ち去りました。 その後、数週間、その店に行きませんでした。 数日間、どこにも出かけませんでした。


私はそんな人間の嫌なところを見ると、家に篭り、息子の高校の送り迎えにしか出かけたくなります。 どうしても出かけないといけない時は、なるべく誰とも目を合わないように下を向いてさっさと用事を済ませます。



どうして人は、簡単に、なんでもないことのように、人の気持ちを傷つけることをできるのでしょう。

どうして人は、他の人を見下すことによって優越感を得ようとするのでしょう。


人間嫌いになりそうな時があります。




街中はすっかりクリスマス一色。 

メキシコ人の人達、通りの外灯の飾りつけや歩道の花壇の真っ赤なポインセチアの植え付けで忙しそう。

モロッコ人、そしていろんな国の人のお話



メリー・クリスマスはスペイン語でなんだっけ?  “フェリス・ナビダ”

通りがけにクリスマスの挨拶をしてみようかな。 

きっとあの人達は、私のアクセントひどいのスペイン語を馬鹿にしたりはしないでしょう。



やっぱり私は、人間が好き。