同性愛者 | グローバルに波乱万丈

辛いことが続き、頼れる人も行き場もなく、これからどこでどう生きていけばいいのかわからず、さ迷い、2歳の息子の手を引いてロンドンに流れ着いた時のこと...



ロンドンには高校時代の友達がいたのだけど、父親が亡くなり一時日本に帰ってしまい、見知らぬ街で息子と二人... 孤独から気がおかしくなっていくのが、自分でも感じられました。 友達のバイト先の友人、20歳ちょっとの日本人の男の子に随分迷惑をかけてしまったのです。 

自分のフラット(アパート)にいるのが居たたまれなく寂しくて、ただ誰かと一緒にいたくて、彼とアイルランド人のルームメイトの住むフラットに、朝早くから涙を浮かべ駆け込んだものです。

彼もルームメイトも、一度も嫌な顔を見せたことはなく、大した知り合いでもなかったのに眠気顔を隠し、いつも笑顔で私と息子を迎え入れてミルクティーを作ってくれました。 息子を公園に連れて行ってくれたり、お風呂に入れてくれたり、世話の手伝いもしてくれていました。



ある日、彼が息子を買物に連れて行ってくれた時、彼のアパートで留守番をしていた私は、何気なく書棚にある写真や置物を眺めていました。 紀伊国屋のカバーのある本が目についた。 Q&Aタイプの本でした。



“同性の友達のことが気になる。 自分は異常ではないのか?”

“こんな自分が嫌いだ。 死んでしまいたい。どうしたらいいのか?”

“どうしたら、こんな自分を変えれるのか?”

“親を苦しめたくない。 どう説明すればいいのか?”



涙が出てきました。 あんなにも他人に優しくできる彼が、こんなことで苦しんでいることが悲しかったのです。





26歳になる主人の姪は、レズビアンです。 彼女には5年一緒のフランス人のパートナーがいます。 心の優しい、とてもいい子達で、私は二人が大好きなのです。

同性愛に対してかなりオープンなカナダに、去年、南フランスから二人でに引っ越してきました。 宗教上、同性愛を罪とみなすイスラム教のモロッコから、遠く離れるためです。 モロッコに住む両親は、彼女がレズビアンとは知りません。 




息子が産まれた時、私は息子への約束を手帳に記しました。 その一つは、

“あなたが何をしようと、どんな人になろうと、私からのあなたへの愛が変わることはありません。”


綺麗ごとではなく、もし息子達が同性愛者でも私は構いません。 

そうであってほしくはないと思うのは、理解のない人達でいっぱいのこの世の中で、辛い人生を生きることになるからだけです。


辛い思いをしなくてすむ、本当の自分で生きていける場所を求め、
日本からロンドンへ渡った彼...  モロッコからフランス、そしてカナダへ渡った彼女達...


息子達が遠くに行ってしまわないといけないくらいなら、どんなことでも受け入れることができます。




あの彼がいなかったら、私はロンドンで精神的に病んでいたかもしれない。

今でも彼は、たぶんロンドンで暮らしているのだと思います。 いつか探しあてて、お礼が言いたい。 20年前の私と息子、覚えてくれているでしょうか。 

本当の自分のままで、辛い思いなんてせず、幸せでいてくれればいいけれど...




姪とパートナーは、来年には子供を作ると言っています。 そうすれば、モロッコの家族、親戚も知ることになるでしょう。 「甘やかしてやろーと。」と、私は今からお祖母ちゃん役をかって出るのです。