この2日

いえ
本当はもう少し前から感じていた違和感


それはTwitter上で見かける「熊本はもう忘れられかけている」「震災に関する報道はほとんどない」


そうでもないんじゃないかな?
うちはもともと一日中NHKがついていて、熊本・大分はもちろん、東北のことも毎日取り上げているし
SMAPだって毎週スマスマで義捐金の呼びかけを続けている

現地の、被災者の方が孤立感や焦燥感を覚えるのは無理ないだろうけど、それに皆で同意してしまってはますます追い打ちをかけてしまうのではないだろうか


けれど分かっていないのは私の方だった

「自分は気にかけている。想いを寄せている」
そんなのは飛んだ思い上がりだった


石原軍団の皆さんと共に木村くんたちが彼の地へ赴いたとの一報が入るや否やTLには現地からの声があふれかえった

そこには喜びや感謝とともに助けを求める悲痛な叫びがあった

事態は改善されていなかった

深刻な状況はまだまだ続いていた


分かっていたはずだったのに


災害は直後、1週間後、1か月後、2か月後、半年、1年…
刻々と変化はしても収束や改善になんてそう簡単に進むはずがないんだ

みんな堪えているだけなんだ

だからこうした瞬間に想いがあふれだすんだ


いや、違う

本当はずっと叫んでいたんだ

でも聞いていなかった

耳も目もふさいでいたんだ


それを開けてくれただけなんだ


悔しいやら情けないやらで
「よかったね」なんて言ってられなかった


ありがとう
目を覚まさせてくれて


だから遠慮しないで
もっともっと大きな声で叫んでください

被害の大小にかかわらず


こうして誰かが行ってくれて初めて伝わることがある


やっぱり彼らは私たちの希望の旗

次々に大きく旗を振って私に気づかせてくれる


自分が楽しむこともやめられない私ですが
心に元気を蓄えて
明日からまたがんばります