パリ五輪「誹謗中傷やめない人」の驚く"思考回路" 「嫌ならSNSやめろ」と言う人に知ってほしいこと

東洋経済オンライン 2024年8月3日 10時0分

連日、日本人選手の活躍で盛り上がるパリ五輪で、選手や審判などに対する誹謗中傷が深刻な問題になっています。

最も反響を集めているのが、7月28日の柔道女子52キロ級で2回戦敗退した阿部詩選手に対する厳しい声。敗戦後、人目をはばからず号泣したことに「恥ずかしい」「見苦しい」などと批判の声があがったほか、「3年間何をしていた」「タレント気取り」などの心ない声も散見されました。

同じ柔道では、同27日の男子60キロ級準々決勝で不可解な敗戦を喫した永山竜樹選手の対戦相手・フランシスコ・ガリゴス(スペイン)選手に誹謗中傷が続出。

故意かどうかはわからないものの、審判から「待て」が出たあとも絞め技を続けて永山選手が失神したことに、「汚いやり方で取った最も恥ずかしいメダル」「人間性を疑う」「柔道をやめろ」などの厳しい声が浴びせられました。

さらにバスケットボール男子の日本対フランス戦では、残り10秒で日本がファウル判定に。これがきっかけで延長戦に持ち込まれて敗戦したことから、審判への批判が殺到しました。

「(審判を)やめろ」「二度と選手と同じコートに立つな」「誤審で勝たせてうれしいですか」などの声が浴びせられ、日本語だけでなく英語もあったことから国を問わず誹謗中傷が寄せられているようです。

JOCが異例の声明で警告

東京五輪のときも誹謗中傷が問題視されましたが、今回はそれを上回るムードがあり、実際、国際オリンピック委員会(IOC)は選手村内にSNSで傷つけられた選手などの心のケアを行うスペースを新設しました。

また8月1日には、日本オリンピック委員会(JOC)が「TEAM JAPANを応援いただく皆さまには、誹謗中傷などを拡散することなく、SNS等での投稿に際しては、マナーを守っていただきますよう改めてお願い申し上げます」といった異例の声明を発表しています。

しかし、そもそも犯罪行為をしたわけではないスポーツの関係者に、なぜこれほどの誹謗中傷が浴びせられてしまうのでしょうか。

ここでは単に「誹謗中傷はよくない」と断罪するのではなく、なぜその行為に至るのか。しなくなるためにはどんな思考が必要なのか。実際にネット上で誹謗中傷を繰り返した人の悩み相談に答えてきたコンサルの立場から、その背景や対策をあげていきます。

「知らない」ことで強気になれる

なぜ、会ったことがない、よく知らない人を誹謗中傷してしまうのか。

それは裏を返せば、「会ったことがない、よく知らない人だから誹謗中傷してしまう」ということ。さらに五輪に関しては、「その競技にさほど詳しくない人びとも見ているから」という理由が加わってきます。


たとえば、普段からその競技を見ている人を除けば、「日本人選手の対戦相手をよく知っている」という人は少ないでしょう。知らないから、相手の気持ちや立場をふまえることなく感情にまかせてコメントできるし、自分におよぶリスクが少ないこともわかっています。

実際、柔道のガリゴス選手を誹謗中傷した人は「スペイン人の彼から訴えられることはないだろう」と思っているのではないでしょうか。

阿部詩選手に厳しい声を浴びせた人も同様に、彼女のことをよく知らないからでしょう。これまでの努力や苦しい日々を知らないのは仕方がないとしても、残念なのは「敗戦のショックや悔しさを理解しようとしない」という不寛容な姿勢。

もともと人間には「勝負事に負けた人、落ち込んでいる人、泣いている人などを軽く見てしまう」という心理傾向があり、しかもこれまで成功してきた人や努力を重ねてきた人に対してはその傾向が加速します。

しかし、「負けた選手は叩いてもいい」「勝てるはずなのに負けた人にはこれくらい言ってもいい」という思考に陥りがちな人ほど、自分の弱さも自覚しているもの。

日ごろ自分が「あまり努力していない」「勝利を目指して必死に戦っていない」ことをわかっているからこそ、それをしてきた彼らの失敗や疑惑に過剰反応してしまうのです。

自分を棚に上げているだけに「この言葉で相手はどう思うのか。傷つけたりしないか」という優しさはありません。

逆に阿部詩選手ほどではなくても、努力を重ね、勝負に挑んでいる人は、彼女に厳しい言葉を浴びせることはないでしょう。むしろ、「あれだけ泣けるのは『絶対に勝てる』と思えるまで努力し、必死に戦ったから」という見方になるものです。

「タイパ」「コスパ」重視の人は要注意

これは選手に限らず審判などの関係者も同様。彼らが「パリ五輪という大舞台で審判を務めるためにどのような努力を重ね、実績を積み上げてきたのか」を知っている人はほとんどいません。

もし審判がミスをしてしまったとしても、その多くは一定数起こりうるヒューマンエラーにすぎません。本質的な問題はヒューマンエラーにつながったルールや体制の不備、機器の不足であって審判個人ではないでしょう。

個人名を特定して本人や所属先のSNSなどに誹謗中傷を書き込む人がいますが、よほど悪質なケースを除けば、誰か1人を責めたところで何も変わらないのです。

その点、誤審疑惑が頻発している柔道は「審判が権力を持ちすぎ」という声も目立ちますが、これは個人ではなくルールや体制の不備、機器の不足などを問題視しているため誹謗中傷ではありません。

ただ難しいのは、「『誰か1人を責めたところで何も変わらない』ことをある程度わかったうえで誹謗中傷してしまう人が増えている」という現実があること。

個人的なストレス発散のために誰かを傷つけようとする人は言語道断であり、これから法整備やプラットフォーム側の対応などで改善していくべきところでしょう。

それよりも深刻なのが、個人的なストレス発散が目的ではないのに誹謗中傷してしまう人。なかでも、日ごろ「タイパやコスパなどを意識している」「動画やドラマなどを倍速視聴する」などの効率を重視する人に危うさを感じてしまいます。

基本的に効率重視の人は、常に感情が後回しになり、本質を探ろうともしないため、他人の感情に鈍感で、本質を知らないまま過ごしがち。さらに効率重視の分、自分の感情を瞬間的に結論づけて発信するため、「思わぬところで人を傷つけていた」というケースが少なくありません。

五輪の関係者に対しても効率重視の目線で見るため、「時間をかけ、努力を重ねて積み上げたもの」への思慮が乏しく、彼らの本質をつかめていない感があるのです。

「自分の人生に向き合わない」弊害

ところが効率重視の人がSNSで発信するときは、意外なほどに粘着質。たとえば、自分の批判を正当化するために、競技経験者などのコメントから一部を切り貼りするようなケースをよく見かけます。

効率重視のはずなのに、なぜそんなことまでするのか。誰かを喜ばせることのないその熱意はどこからくるのか。

これまで他人を誹謗中傷してしまう人の話を聞いてきましたが、彼らに共通しているのは、「自分の人生に向き合おうとしていない」こと。その理由は「わからない」「自信がない」「面倒くさい」「怖い」「特に理由はない」……いずれにしても自分の人生に向き合っていないから、よく知らない人の人生に口を出したくなってしまうのです。

特に五輪選手のような自分の人生に向き合ってきた人が何らかの失敗をしたときが、彼らが口を出す絶好のタイミング。自分の人生に向き合っていないことの言い訳をするように他人を攻撃することで、現状を正当化してしまうのです。

しかし、そんな自分の現状をごまかすような正当化が何かを変えてくれるはずはなく、心の中に「他人を攻撃した」という負の感情が蓄積されていくだけ。また、誹謗中傷したところで、「五輪選手は自分よりも地位や名声を持ち、充実した人生を送っているだろう」という思いは消えず虚しさが募るほか、ますます自分の人生に向き合いづらくなっていきます。

では、誹謗中傷しなくなるためにはどんな思考や言動が必要なのか。

これはもうシンプルに「自分の人生と向き合って生きること」「周囲の人に目を向け、コミュニケーションを取ること」の2点に尽きます。そもそも自分の人生に向き合って生きようとしている人には、やりたいことや楽しい時間が多く、わざわざ時間をかけて他人を攻撃する必然性がありません。

ただ、「やりたいことや楽しい時間が“推し活”に偏ると、自分ではなく誰かの人生と向き合うことになってしまう」ので要注意。たとえばアイドルグループの推し活をしている人が「他グループのアイドルやファンを誹謗中傷する」というケースがよくあります。

どちらのアイドルも成功すればいいだけなのに、なぜ誹謗中傷してしまうのか。その理由は「“推し”という他人の人生ばかりに向き合いすぎて、自分の人生と向き合うバランスが悪化し、誰かを攻撃することでそれを正当化している」からでしょう。

「SNSをやめればいい」という極論

「五輪選手のように人生を懸けて打ち込めるものがない」という人も心配無用。特別なものがない日々でも、楽しい瞬間、癒される瞬間、進歩や成長を実感できる瞬間などを増やすことで、他人を攻撃しようという思考が減っていくものです。

また、「周囲の人びととコミュニケーションを取るほど、自分の現状や他人の感情に気づきやすくなる」ことも自ら誹謗中傷を防ぐポイントの1つ。自分の思考だけに凝り固まってしまうことを避けられ、もし批判したくなったとしても「これは言いすぎかな」「こうかもしれないからやめておこう」などと感じる抑止力が身についていきます。

今回のように選手への誹謗中傷問題が取りざたされると、「SNSなんてやめればいい」という声があがりがちですが、それは個人の自由を奪う極論。選手たちの多くは単に目立ちたくてSNSをやっているわけではありません。

実際、「SNSは関係者やファンに自分のことを知ってもらう機会」「感謝などの思いを伝えられ、力をもらえる貴重な場所」という選手も少なくないのです。あるいは「競技生活を続けるために契約を交わしたスポンサー企業の意向」という人もいるでしょう。

ときにSNSは誹謗中傷が集まってしまう残酷なものになりますが、それを「アリかナシか」の極論で考えるのではなく、誹謗中傷をなくすことを考える世の中のほうが生きやすいのではないでしょうか。

7月30日、永山選手は自身のXとインスタグラムにガリゴス選手と肩を組んだ写真と、「ガリゴス選手が会いに来てくれました!彼から謝罪の言葉がありましたが、彼にとっても不本意な結果だったと思います。オリンピックの舞台で彼と全力で戦えた事を幸せに思います!誰がなんと言おうと私たちは柔道ファミリーです!」というコメントをアップしました。

また、その前日にも「準々決勝に関しては、お互い必死に戦った結果なので、ガリゴス選手への誹謗中傷などは控えて頂きたいです」「審判の方も判断の難しい状況だったと思います」「敗戦後に抗議をして握手に応じれなかったことは申し訳なく思っています」などとコメントしていました。

各方位への配慮とスポーツマンシップを感じさせる素晴らしい対応であり、ここで「ようやくガリゴス選手や審判への誹謗中傷が収まった」という感がありました。しかし、誰しも同じような対応ができるとは限らず、選手個人にここまでの責任と労力を背負わせるのは酷でしょう。

そもそも選手にとって五輪は「4年に一度の大舞台」「幼い頃からの憧れ」「人生を懸けてきたもの」だけに感情のコントロールが難しく、普段ならやらない衝動的な言動に至ってしまうこともあるものです。

試合前のメンタルを乱そうとする人も

陸上競歩の混合団体に出場する柳井綾音選手は、自身のXに「今回の20kmWの辞退の件ですが、たくさんの方から厳しい言葉に傷つきました。試合前は余計神経質になり、繊細な心になります。批判ではなく応援が私たち選手にとって力になります。批判は選手を傷つけます。このようなことが少しでも減って欲しいと願っています」とつづりました。

これは「混合団体に専念するために女子20キロ競歩出場を辞退する」という日本陸連の発表に批判的な声が集まったことに対するコメントですが、試合前に選手のメンタルを乱そうとする人びとの存在に驚かされました。

このような人がいる限り、JOCの声明にあった「侮辱や脅迫などの行き過ぎた内容に対しては、警察への通報や法的措置も検討いたします」のような警告だけではなく、法や罰則規定の整備、モラルやリテラシーの教育などの多角的な対策が必要でしょう。

また、五輪が次回以降に向けて求められるのは、各競技におけるルールの明確化やジャッジの正確性アップ。誹謗中傷につながりそうなリスクのあるものは1つでも減らす試みを期待したいところです。

木村 隆志:コラムニスト、人間関係コンサルタント、テレビ解説者

記事内容「誹謗中傷してる人は負けて泣けば見苦しいとか厳しく言って汚い手で勝つと人間性を疑う柔道やめろとか言ったり誤審したらコートに立つなとか喚く。

知らないから。

敗戦のショックや悔しさを理解しようとしてないだけ。

それは負けて落ち込んで泣いてる人を軽く見てるだけ。


努力もしてない勝つためのこともしてない人が動画に倍速してる人がストレス発散にしてるだけ。

自分の人生に向き合ってなくて面倒で、自信がなくて人を攻撃してるだけ。


侮辱とか脅迫するなら警察に通報。

厳しい批判が神経質となり繊細となり批判が傷つく。人の人生に向き合いすぎて攻撃してるだけ。」


あい「まぁストレス発散に百瀬ひとみみたいなO型努力もしてないし勝つためのこともしてないしは誹謗中傷していてA型が自分の人生に向き合ってなくて自信がないから誹謗中傷して攻撃してるだけ。

B型は神経質で繊細で傷ついてる。