対峙。 | シンガーソングライター「*. ..やうこの猫的生活.. .*」Powered by Ameba

対峙。

ふぅー、今日もソファで寝落ち…

だったらベッドで寝ればいいのに、て毎回思う
でもソファベッドなので、まぁまぁ寝心地はよく
猫さんが寄り添ってくれてるとつい、
眠りに堕ちてしまう。。
 
昨日はぜんぜん作業、はかどらなかった。。
次から次へと電話、
予期せぬこともあり
こんなにぐったりしたのは、、2年ぶり…
 
昔から文章を書くのが好きなので
本を出版したらどうだ、とお誘いも頂くけど
今の自分にはまだまだ、と思う。
文章はブログでまぁまぁ書いてるし。
でも本当に伝えたい事は、
会って顔を見て一緒の時間を過ごさないと
本当のところ伝わらないかな、とも思う。
ライブやファンミーティングも、だから大切。
 
バーチャルには限界がある。
人間は微細な電流を発し、
その波長が合うか合わないか
ラジオの電波のように波長のチャンネルが合うと
繋がった感を感じられるんだと思う。
それはもう、理屈じゃない。
 
そして言葉はとても大事だ。
私はとにかく、よく喋って、よく笑う。
くだらないことから、真面目なことまで
猫とだって、いつもいつもしゃべってる。
そうそう、おしゃべりな猫は甘えんぼなんだって。
りっちゃんが、まさにそう。
 
そうやってたくさん会話する中で
相手のいろんなことを知ることができ
お互いの思いを確認することができる。
どうしても経験や人との出会いの多少で
視野の広さには違いがある。

視野がキューっと狭くなってる相手に
何を言ってもはねつけられる時もあるけど
根気よく話すことで理解しあえる。
人と対峙することは面倒だけど、通じ合えた時
一人では味わえない喜びがある。
 
視野が狭いと、世間の目を怖く感じてしまう。
でも、出会いや経験を通して
小さいことは気にならなくなる。
きっと、早く気づいたもん勝ちかなと思う。
ネガティヴな部分に焦点をあててしまうときりがない
そして本当の価値が、どんどん見えなくなり
物事を複雑に見てしまう。
 
日本は謙遜とダメ出しの教育のおかげで
自己評価が低かったり
人の目、評価を気にする人が多い。
まぁ確かに目の前に数字を見せつけられたら
ひるんでしまうのも仕方ないが
人の価値は見た目や数値や肩書きではない。
 
欧米では 人を褒める教育をする。
そして自らこれがしたい!私はこう思う!
という主体性を大切にする。
だから日本にいる時のように自分の考えを言えないと
この人には意思がない、何を考えてるかわからない
と思われ相手にされなくなる。
小さいうちから自分の考えを持つようになり
個人を尊重することを覚えるので
よほど反社会的なことをしない限り
誰かをみんなでたたく、という習慣はない。
 
日本の中にいると日本の価値観、ルールに縛られ
独特の空気感を生み、まるでイワシの群れのように
みんなで同じ方向に動き、自分を守ろうとする。
でも本当はサメやエイ、イルカにだってなれるし
俺はミジンコでいいぜ、という選択肢もある。
そんな人生を誰も笑ったり批判したりする権利はない。
 
家族のことを 「うちのダメ夫が」
「うちのコほんとだめでしょー」と言ってしまう人もいるけど
小さい頃からどんな言葉に触れて育つかで
その人が成り立つので
発する言葉にはポジティブな思いを込めたほうが
良い影響となるでしょう。
 
余談だけど、私の父はよく飲み屋で酔っぱらうと
「俺にはなにひとつ自慢できるもんなんてないけど
家族だけは俺の自慢だ」と言ってたのだそう。
そして迎えに行った母に
「俺は、お母さんがいないと死んじゃう」
…かわいいやん
  素敵やん
 
言葉なんかいらない瞬間もあるけど
話すことで伝わることは、たくさんある。
本音を言うことに慣れてない人は
つい、取り繕ってしまうのだろうけど
取り繕ってることって他人から見たらわかるよね。
なのにみんなで取り繕ってるのは、へんだ。
ならばありのままでいるほうが、どんなに楽か。
素の自分を受け入れてもらえるって
すごく居心地いい。
 
あれやこれやと人の事に目を向けてるときは
つまり、自分に目が向いてない。
じゃあ自分はどうなの?て考えるのは後回し。
ん〜 アーティストや作家などは
否が応でも自分と向き合わざるを得ない。
それってたいへんだけど、実はけっこう楽しい。
え、自分って本来こんな人間だったんじゃん
て、嬉しくなる。
自分と向き合うのって実はネガティヴな事じゃない
自分を好きになれる絶好のチャンスなのだ。
そしてありのままの自分を受け容れると
不思議と人にも寛容になれる。
 
そう、ネガティヴな部分に目を向けるときりがない
ならば、人のいいところを見て
そんな素敵な人と友達、知り合い、夫婦、恋人でいられることを幸せに思いたい。
人を批判する人は、いつの時代だっている。
でも私は私を好きでいてくれる人たちがたくさんいてくれるので、じゅうぶん幸せ

ぐったりはしたけど、今日もよい1日となりました。