『対峙』

【原題】Mass

【製作年】2021年【製作国】アメリカ

【監督】フラン・クランツ

【主なキャスト】リード・バーニー、 アン・ダウド、 ジェイソン・アイザックス、 マーサ・プリンプトン、 ミッシェル・N・カーター、 ブリーダ・ウール




去年の公開当時は、都合がつかず。
遅ればせながら、観ることにしました。

クタクタになるという噂なので、土曜日に観ましたが、評判通りで…
見応えはありますが、どっと疲れました。


あらすじは…。

アメリカの高校で、生徒による銃乱射事件が勃発。
多くの同級生が殺され、犯人の少年も校内で自ら命を絶ちました。

それから 6年。 いまだ息子の死を受け入れられないペリー夫妻は、

事件の背景にどういう真実があったのか? 何か予兆があったのではないか? という思いを募らせていました。

セラピストの勧めで、加害者の両親に会って、話をする機会を得ますが…。


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ネタバレあります。








小さな教会の、奥まった部屋で対話する、被害者の両親と 加害者の両親。
BGMもなければ、回想シーンもありません。 ただ、話すだけです。

これって台詞ではなく、アドリブなの?と思うほど淀みなく話す、4人の演技が凄かった。
最初はぎこちなく、徐々にヒートアップしていく。 間も、表情も動きも素晴らしい。

どうやって撮影したのでしょう? もしかしたら1日で? だとしたら、かなりの集中力が要求されそうです。
キャストの演技力がなければ、成立しなかったことでしよう。
凄い映画だと思います。



ただ、手放しで絶賛する気持ちにはなれなくて。
映画としては、素晴らしいのですが… 
被害者の親と加害者の親 “だけで” 対峙すること自体に、モヤモヤするのです。

被害者の親が前に進むためには、必要なことだったのかもしれませんが。



『修復的司法』に馴染みがないし、キリスト教的な要素もあったので、自分の理解不足なのかもしれません。

今の自分が、どこに “引っかかった” のか、記録として書き留めます。

◆対話したのは、被害者の両親と加害者の両親であって、当事者ではない。
『赦す』も『赦さない』も、当事者は亡くなっているわけで… 

『親を赦す』っていうのは、何か違うのではないだろうか。
”はて?“ となりました。

◆被害者の親は、加害者の親の育て方や、関わり方に問題があったと思いたい。そうして自分を納得させたい。そんな風に感じられました。
その気持ちは理解できます。

けれど、生まれつきの特性など、他の要因もあるのではないか?

それに、高校生になった息子の、行動や頭の中を全て知っている親なんているのだろうか? 
などとも思い、繰り返される質問を聞くのが、とても苦しかった。 

親に責任が全くないとは思いませんが、全てが親のせいとは思えなくてショボーン


◆被害者が10人もいるのに、1人の親とだけ話すのも疑問です。
もちろん、セラピストに勧められたという、この被害者の両親のためにはなるでしょう。

でも、加害者の親は、要望があれば、何回も何回も対話に応じることになるのでしょうか?
そうなったら、後悔に苛まれている、あの母親は耐えられないのではないか?
とても危険なのではないかと思いました。


◆コレいる?と思ったのは、加害者の親の気配りのなさを強調する描写。

後で着いて、先に帰る彼ら。 
被害者の母親に、お花を贈るのはいいとして、どうやって持ち帰るのか?に考えが及ばない。

父親にエリート臭が漂うのも含め、敢えてそういう印象にしているのだろうか?と思ったりもしました。 



など、気になることはあったものの…

4人は、それぞれの息子をかけがえのない存在だと想い、愛していた。

4人とも、心に深い傷を負い、喪失感は 6年経った今も拭えてはいない。

それはよく伝わり、なんだか居たたまれない気持ちになるのでした。