1年経過で
痛みはほぼなし
右の腰に疲れが出ると、張りを感じる
右脚のしびれなし
右つま先の上がり(前脛骨筋の出力)6割程度に回復・・・冬から進捗が鈍化
走れるようにはなってきた
右脚でのブレーキがかけられない
幸い踏み切り足が左なので困りすぎることは無い
整形外科にて牽引を勧められる
1年経過で
痛みはほぼなし
右の腰に疲れが出ると、張りを感じる
右脚のしびれなし
右つま先の上がり(前脛骨筋の出力)6割程度に回復・・・冬から進捗が鈍化
走れるようにはなってきた
右脚でのブレーキがかけられない
幸い踏み切り足が左なので困りすぎることは無い
整形外科にて牽引を勧められる
右臀部〜大腿側面〜下腿側面〜くるぶしへの神経痛
に加え
正座の後のような痺れ
に加え
ももの付け根、すねの筋肉、親指の麻痺
痛みも痺れもこまるけど、麻痺が1番厄介。
このヘルニアには、どんなメッセージがあるのか、これからさらに紐解きたい。
けど、やると決めたからにはやらなきゃいけない。
歩を進めて、無理しても登らにゃならん山もある。
そこから、生まれさせたいものがある。
無理じゃない。
無理じゃないけど今は無理。
今は無理なことも頂上へ登る過程のひとつ。
お前たちのコンパスは同じところを指してるかい?
試験期間、きついけど、みんなで踏ん張ってがんばろうや。
勉強も走るのも、コツコツやったやつが勝つってとこ、見せてやろうや。
煮え切らない態度に喝が入る。
君たちは、どうなりたい?
結局、それに辿りつく。
夏の気持ちはもう忘れたか?
目標は、俺が言わなきゃ決められないのか?
目標や夢は、忘れていくものなのか?逃げて行くものなのか?
逃げてるのは自分でしょうがよ。
目標は逃げんよ。
追わな近づかんよ。必死で追わな。
簡単に辿りつく目標や夢なんて立てても面白くないでしょうよ。
人を妬んでても何も生まれんよ。
ため息ついてても足は進まんよ。
暗い顔してても、誰もうっちゃわんよ。
止まってうだうだしてても、何も始まらんし変わらんよ。
きついのはみんないっしょだろうもん。
走れなくで苦しんでる人のことも考えたことないでしょうが。
自分中心に考えが進むから、自分で抱えきれないことばかり増えてくるように感じるとよ。
きつい、疲れた、先が見えない、自分だけおいてかれてる、
ついていけない、なんで、いや、それは・・・
何考えても、最後はやるしかなかろ?
何のためにあんた達が練習から退けられたか考えてから参加してくれ。
自分にも言い聞かせながら、なぁなぁで終わらないように、自分ももう少し手を尽くさねば。
駅伝、学園祭が終わり、ひと段落。
どれだけ寝ずに頑張っても、学生の前では平気なふりで部活に出かけ、その後も仕事して、深夜に食事して、朝起きて、授業で動いて、資料等の宿題こなして部活して・・・
そんな合間に、駅伝の作戦やタイム設定、過去10年のデータ集計、練習環境作りに、道具の買い出し、サプリメントの厳選、・・・などをしてる合間に短距離・フィールドの練習内容や個人の練習計画を立てたり、日誌を見たり。そしてそして、その合間に、学生指導がチョコチョコ(時に数時間)と入ってくる。
↑
最近、何やってるかわかんなくなったので、ちょっと整理してみたくなったので羅列しただけ。
昨年3月に椎間板ヘルニアになった後、1年かかってなんとか走れるようになって、2月に胃腸炎、5月にひどい扁桃炎にかかり、6月に帯状疱疹、原因不明の頭痛と胸痛、金縛り。
不慣れな仕事に、たまり続ける事務作業と書類、授業の準備、合宿、論文、野球の引率。
まあよくも、2年でこれだけ手を出してこれたなと思った。
まだ元気に生きてて良かった。
そして、自分の時間ってもう何年も持ってない気が。
スキーも行ってないし、友達と食事にも行ってないな。
どこか行く時は、温泉とか治療とかスポーツ店とかで必ず学生がいるようないないような。
いろいろと同時進行で、毎日一つ一つ決着がつかないまま、いつもいくつか考えながら。
そんな、グレーゾーンで毎日仕事や部活が進むなかで、先を見てその時々に適切な決断を下していく。
難しいけど、やらなきゃ誰もやってくれないもんな。
明日、死んでも次誰かがつないでくれる環境を作っとかんとな。
あと一年。
11月6日(土)
高校駅伝 結果 11位
10位まであと27秒。
10位に入ると全員の名前が新聞に掲載されることになるが、そこまであと一歩だった。
この差は何か。
あれだけやってもまだ届かないのか。
八代に帰ると同時に、称賛の声と惜しむ声がかかった。
いや~良かったですね!
本当にあと少しでしたね!
来年からが楽しみですね!
だいぶ注目してもらってるんだなと感じたとともに、誰一人力を出し切れない歯痒さと、いかなきゃいけない時にチャンスを掴めない悔しさが心に残った。
この時期はどうしても、会議や仕事で練習に行けない日が続く。
チームとして、一人ひとりが選手としてまだ未熟な状態だと、目を離したときに故障したり雰囲気がおかしくなったりしてしまう。自分達でチームを盛り上げたり、鼓舞したり、引き締めたりできるようになるまで、まだまだ時間がかかりそうだ。
結局、選手個人個人が、先を考えて、周りのことを考えて、行動できるように促していくしかない。
これまで底の方で泳いでいたチームがいきなり変わるにはそれなりのショックが必要。
それがなかったら、少しずつ、少しずつ、伝えて、経験してもらって変わっていってもらうしかないだろうか。
今はまだ、個々が受け身。
中長ブロックは受け流さないだけ、成長がみられる部分もある。
今回の結果は、18年前の初参加12位以来、15位を超えられなかった壁を超えたことは事実。
走った選手達の総合力が高かったことも事実。
来年以降のために3年生を長い区間に配置し1年生を下げれば確実にもう一つ順位も上がっただろう。
10人エントリー枠があっても9人しか人数がおらず、エースの故障も直前に出て本当にぎりぎりだった。1週間前は本当に付きっきりで治療に奔走して、いろんな人のつながりで10km走り切るまでに持って行けたことに感謝したい。大会が近付くと腹痛になる選手もそれを克服した。不調になりそうだった3年生も走りきった。初出場の2年生も自分の仕事を全うした。1年生も8kmを外そうとしたが、自ら「走ります」と志願し、大役を務めた。
不満なわけではないけど、何か選手の反応や態度が希薄だった。
それはこれから、変えていけばいい。
とにかく、選手はよく頑張った。
次に大きなチャンスが来たときにまた挑めるように、また、チームづくり、心づくりが始まる。
9/22~25の3泊4日
阿蘇で駅伝合宿を行った.
今夏,1~3年生も4・5年も例年に比べて低調.
何か発奮材料がほしかったところで,夏休み最後に合宿を入れ込んだ.
求心力不足の3年生に喝.
甘んじている2年生に喝.
上級生の維持を見させるために喝.
そして,ゆっくりと淡々と走り続けてきた体に喝.
雨天で初日,2日目午前はボリュームに欠けた.
しかし,2日目午後の仙酔峡(3.5km⇒階段)コースを2本.
八代の山とは勾配も景色もスケールが違う.
3日目も,午前はクロカンで脚に負荷をかけて,午後は仙酔峡1~3本.
ここで,1年生が本完走.
最終日の午前も仙酔峡T.T.を2本.
最後は地獄だったと思う.
でも,みんな潰れそうになりながら完走した.
全員,山から町に叫んで,すがすがしい顔で帰ってきた.
1年水本の中身が少し積極的になり変わり始めた.
体も覚醒しつつある.
2年穴井の復活.
5年の谷に泥をつけた.
3年の復調.
調子を崩していたが多くの者が本気で走り,足掛かりをつかみつつある.
4年も走れるようになってきた.
練習に参加できてきているし,走りも少しずつだけど戻ってきている.
5年は忙しい時期にチームを引っ張り,盛り上げ,果敢に攻めた.
今回,故障メンバーが復帰し初めての合宿となったが,良く走れていた.
本当に苦しかった時を乗りこえて,心身共に成長した姿を,車のルームミラー越しに見ていた.
「あとひとつ」って曲が流れ,その選手たちを見た時,目が潤んだ.
今回,都城と熊本キャンパスも合同で練習し,交流とともに心の強さを増したように思う.
そして何よりほしかった,「結束」が生まれてきた実感がした.
県民体育祭
三段跳と4×200mR.
調子は良くもなく,悪くもなく.
気持ちだけではどうにもならなかった.
難しい.
走り方が分からなくなっていた.
念願だったリレーでの表彰台.
悔しさしかなかった.
一番上まで,あと0.7秒.
自分のブレーキが他の3人に非常に申し訳なかった.
なんて無様な走りなんだろう.
なんで,自分が選ばれたんだろう.
テントに戻っても
「すみませんでした.」
としか言えなかった.
「よくやったじゃないか」って同級生の子が言った.
「ごめんなさい」って,リレーメンバーみんなが言った.
叱咤してもらえたならどんなに楽だっただろうか.
みんなの情に,気持ちを抑えるので精いっぱいだった.
地域の仲間と,もう一度盛り上げなきゃならないという気持ちにさせられた.
みんな,結構見ていてくれていた.
自分の行動,自分の結果に自分で責任を持つ.
そして,自分ひとりの競技じゃない.
「また,頑張らなきゃ.」
今のこの年代もあと,2回.
「きっと,いつか・・・」じゃなく.
今,ここから.
来年,絶対に.