皆さま
少し肌寒くなったら暑くなり、暑くなったら肌寒くなり、いつになったら暑さが落ち着くのだろうか?
日が落ちるのは早くなってきたのに気温はまだまだ秋と言えるほどにはなっておらんなぁ〜
さて、本日はフランス王ルイ16世について書いていきたいと思う。
フランス王国最後の王となったルイ16世
彼の最後の言葉は
「私は無実の罪で死ぬ。だが私は、私を死に追いやった人たちを許そう。そして、これから流される私の血と引き換えに、この国がもう二度と血で染まらぬようにと神に祈ろう」
建国から約1300年。永遠に続くかと思われた王国が滅亡した。
彼の罪は「ルイ・カペー本人に罪はないが、国王という存在は民主主義の敵である」
国王を処刑するかどうかの決戦投票でも、結果は賛成361票に対して反対は360票。処刑が決まったのはごくごく僅差だった。この時の演説をしたサン・ジュスト演説は彼を一躍有名にしたんじゃあ。
「国王であることが罪」
そうでも言わないと彼を処刑することはできない程に彼自身を裁く理由がなかったんじゃあ。
処刑人サンソンは前夜一睡もできなかったようじゃあ。
さて彼については無能いうイメージがある方もいるかと思うが、近年ではルイ16世については多くの研究者が決して無能ではなかったと評価が変わってきている。
ヴァレンス事件までは彼の国民の人気は高かったんじゃあ。
太めでお腹がでているイメージがあるが、彼は身長が190センチあり、小さい頃はかなりの少食だったようじゃあ。そして彼は筋肉質な体型だったようで漫画などで書かれているよりもがっちりとした体型だったようじゃあ。
内気だったようだが、彼の趣味などからどちらかといえば理系男子だったようだ。
同時のフランスは文系的な考えが良しとされていたのでそういう面からすると彼が舞踏会などで貴婦人たちと楽しく話すことは難しかったのかもしれないな。
ルイ14世やルイ15世のように彼は贅沢もせず、マリー・アントワネット以外の女性との浮いた話もない。極めて真面目だった。しかし、当時は既婚者との恋愛も貴族の嗜みだったこともあり、彼のことを面白みのない人だった多くの人たちが思ったのも頷ける。
彼は、国民の生活を自分の目で見るということを復活させた人だ。(この習慣は長い間、なくなっていた)
その上で国民に寄り添った政策を実行しようと試みるも、多くの貴族の反対にあい実行されなかった。そして国民の反乱に関しても彼は力で抑えつけることをしなかった。三部会を開いて解決しようとした。
もし、彼が武力を使って抑えつけていたら歴史は違ってたのかもしれない。
彼は慈悲王と呼ばれるだけあり、優しすぎて、ここぞって時の決断に自分に自信が持てず優柔不断になってしまったのが1番の彼の死を早めることになったのではないかと思う。
そしてフランス経済の破綻は彼とマリー・アントワネットが国王、王妃様になった時点ですでに破綻していたんじゃあ。もはや何をしても焼石に水状態だった。どうにかそれを打開させようと対策を打ち出しても自分たちの利権しか考えてない王族、貴族、僧侶らからの反発に遭い実行に至らなかった。
フランス革命が起きた途端に弟たちや貴族、僧侶らはこぞってすぐに国外逃亡している。
まさに当時のフランスの状況がわかるの。
彼の処刑が、王族を処刑することへの抵抗をなくし、多くの人が処刑されていくことになる。
血を求めて、恐怖政治となり市民の生活は全く良くならない状況を彼はあの世でどんな気持ちで見ていたんじゃあろうな。