皆さま

 

4月じゃあなぁ~。そして本日は晴天じゃあ。4月の始まりを迎えるにはなんとも気持ちの良いものじゃあな。

 

さてさて、先日に続き月組の『応天の門』について本日も書いていくぞ。

この物語の中には論語と漢詩がでてくるのぉ~

本日はその言葉と意味について書いていくぞ。

 

まずは道真(月城さん)が昭姫(海乃さん)に兄の吉祥丸(瑠皇さん)について語る場面じゃあな。

回想シーンで吉祥丸と阿呼(幼い道真)が論語を読んでおるのぉー。

2人が最初に声に出していた部分じゃあ。

『子曰く 学びて時に 之を習ふ。 亦説(またよろこ)ばしからずや。』

これは論語じゃあな。

【意味】

孔先生がおっしゃった、学んだことをその時々で実践・経験を通して習熟していくこと、自分のものにしていくことは喜ばしいではないか。

実はこの後は以下の言葉が公演では抜けておる

 

『朋有り、遠方より来たる。亦楽しからずや。』

【意味】

遠方から遙々訪れる友と過ごし学びを深めるひとときは楽しいではないか。

 

 

吉祥丸に言われて阿呼が続きを読んだのが

『人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや。』

【意味】

自分の能力を認められないことがあっても腐らず人のせいにしない、それこそが人の上に立つ人材としての資質なのです。

 

道真の悪夢の場面でもこの言葉は出てくるのぉー。

 

2人の父親である菅原是善(佳城さん)は道真と同様に非常に優秀な人物で心優しい人じゃったんじゃあ。

殺生を好まず、虫などを殺しこともせず、民に対して慈悲深い人物じゃったんじゃあ。

だからこそ彼は天皇の侍読(天皇に学問を教える学者)だったんじゃあな。

 

さて、藤原基経と吉祥丸の場面でも漢詩が出てきておるのぉー。

幼き基経に言われて吉祥丸が詠んだ詩

『余に問う 何の意味ぞ 碧山に棲むと 笑って答えず 心自から閑なり』

 

これは李白の山中問答じゃあな。

 

【意味】

人が私にたずねる。「どういうつもりで人里離れた緑の山にこもっているのか」。そういう問いには笑っているだけで答えず、わが心はのどかである。

 

藤原基経が次にあったときに教えてくれと頼んだ続きは

 

『桃花流水 杳然として去り 別に天地の 人間に非ざる有り』

 

【意味】

桃の花びらが、川の流れの中に散り、はるかかなたへ流れてゆく。ここは世俗と違う、素晴らしい世界が別に開かれているのさ。

 

いかがかな?

 

 

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