皆さま
わしのブログにアクセスして頂きありがとうございます
GWはいかがお過ごしかのぉー?
わしは冬物と夏物の入れ替えなど掃除をしておる。
特にコロナ禍からいつにも増して本を読む時間が長くなってしまって本の量が。。。
何度か電子書籍にもチャレンジしてみたもの、やはり紙の本がわしは好きで、そうなると。。。ってことで整理をしておるが進まず。。。
『この本懐かしい!』となり読んでしまう。。。
さて、本日は明日も配信がある『Hotel Svizra House ホテルスヴィッツラホテル』に出てくるバレエの歴史と奇跡のバレエ団と呼ばれた『バレエ・リュス』ついて書くぞ。
舞台となるスイスについて知りたい方は
わしはバレエを習ったことも踊ったこともない。もちろん踊るはこともできない。
しかし、いろんなダンスをみたりダンサーの人の話を聞くと、ダンスの基礎はバレエのように思う。
※素人意見のため、ご理解を。
バレエの歴史
バレエはイタリアで生まれ、フランスで花開き、ロシアで成熟したと言われておるのぉー。
音楽、オペラもだが、バレエの発祥はイタリアじゃあ。
1、イタリアルネサンス期(14世紀〜16世紀)
フィレンツェの大富豪メディチ家などによる貴族文化の中、舞踏会の余興としてバロという踊りが、バレエの原型と言われておる。
なんと、モナリザで有名なレオナルド・ダ・ヴィンチは、バレエの舞台衣装や動く舞台装置も製作していたんじゃあ。
当時の踊りは、現在では「バロック・ダンス」と呼ばれておる。
2、イタリアからフランス(16世紀〜17世紀)
イタリアのメディチ家からフランス王室に嫁いだカトリーヌ女王により、イタリアからフランスへバレエへ。
そして、フランスのブルボン王朝最盛期に君臨してヴェルサイユ宮殿を造営した「太陽王」ルイ14世の時代にバレエは花開くじゃあ。
「宮廷バレエ」と言われ、見ている観客も一緒に踊る大舞踏会的なものようじゃあな。
ルイ14世は「踊る王」と呼ばれるほど踊りを好み、この影響で貴族にとって踊りは社交界でのたしなみの一つとなったんじゃあ。
その後、ルイ14世が設立した王立舞踏アカデミー(現在のパリ・オペラ座バレエ学校)の卒業生がプロのダンサーとして活躍し始めるんじゃあ。
18世紀になると、ルイ16世の王妃マリー・アントワネットは観劇を好み、ヴェルサイユ宮殿に王妃専用の劇場を建てたんじゃあ。
3、フランス革命後(19世紀後半)
18世紀後半のフランス革命により、それまでの価値観が崩れ、伝統や権威に反発し、神秘性や異国情緒を志向するロマン主義が花開くんじゃあ。
このロマン主義の影響はバレエにもおよび、神秘的な伝説や民話を素材にしたバレエが盛んに上演され、「ロマンティック・バレエ」が出てくるんじゃあ。
この時代に、トウ・シューズで立って踊る(ポアント)の技術やロマンティック・チュチュが誕生してます。
代表的な作品:「悪魔のロベール」「ラ・シルフィード」「ジゼル」「コッペリア」
4、クラシックバレエの誕生(19世紀後半)
フランスのロマンティック・バレエは、時代とともにマンネリ化し衰退へ。
一方、ロシアでは18世紀にサンクトペテルブルクに帝室バレエ学校を設立され、フランスなど各地から多くのダンサー・振付師が来たんじゃあ。
結果、ロシア人の作曲家チャイコフスキーの曲をフランス人のプティパが振付して成功をおさめ、ロシアのバレエが黄金期を迎えるんじゃあ。
この時代に、回転や跳躍などの高度なテクニックが発達し、スカート丈の短いクラシック・チュチュが誕生しました。
代表的な作品:「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」「白鳥の湖」
バレエ・リュス
フランスではロマンティック・バレエ衰退後、バレエは不遇の時代になったんじゃあ。
そのような中、20世紀にロシアのバレエ団「バレエ・リュス」がパリで次々と新作を公演して成功をおさめ、フランスでバレエが復権したんじゃあ。
バレエ・リュスの活動はわずか20年でしたが、現代バレエの礎となっておる。
バレエ・リュスを率いたのは、セルジュ•ディアギレフというロシア貴族じゃあ。
彼が、このバレエ・リュスを率いて、パリで公演をしなければ、今、バレエはここまで世界中で多くの人に愛されるものではなかったかもしれんのぉー。
今日はこの辺で
最後まで読んで頂きありがとうございます。
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