(前回のつづき)
なんで変わったのか? その前に…質問です。
あなたは,誰かの価値観や仕事観に合わせて生きていませんか?
・会社では,上司の仕事観に合わせている
・自宅では,パートナーの価値観に合わせている
・常識という価値観,先入観に縛られている
あるいは逆に…自分の価値観や仕事観に従わせようとしていませんか?
・部下に自分の仕事観を強要している
・パートナーに自分の価値観を押し付けている
・常識という価値観,先入観を周囲にも期待している
「大丈夫,理解しようとしている。認めようとしている。」
そんな心優しい人であっても…“認める,認めない”とか,“許す,許さない”とか…そう考えている以上,ただ単に許容範囲の大きさの違いってだけで,本質的に自分の価値観や仕事観にこだわっていることに変わりないんですよね。
だから,そういう人に限って…限度を超えたら許さなかったり,豹変してブチ切れたりするんです(笑)。潜在的には自分の範囲内に収めようとしている。
だから,口では…「いいよ,いいよ。今日は帰っていいよ」って言ってても,嘘くさく聞こえて…帰りずらくなったりして…。
で,優しい言葉,優しい笑顔のその裏を想像して「きっと陰ではボロカスに言ってるんだろうな。」とか,「見限られたかな?干されるかな」って疑心暗鬼になっていくわけです。
あ,夫婦もおんなじかも(笑)。
この感覚…わかるかな??
帰りずらい雰囲気の中,帰ったことのある人ならわかるはず。
//自分らしいですか?//
それでね。
仮に会社では上司の仕事観に合わせ,家ではパートナーの価値観に合わせているとしたら…
自分自身の仕事観,価値観は,どこで満たされるのでしょう?
1日何時間,自分は自分でいられるのでしょう?
それで本当に…自分らしく生きているって言えるんでしょうか?
他人の”ものさし”に合わせていたり,自分の”ものさし”に従わそうとしている限り,多様性を認め合うことなんか実現しない。
誰もが自分の仕事観,価値観で働ける世界。
それこそ,多様性を認める働き方改革の目標であり,ティール組織の世界観になる。
「自分らしい働き方」 ってそれらしい。
他人の仕事観に合わせるから…「仕事だから,○○できない」って思ってしまってストレスになる。
たとえ同じことをやっていたとしても,それが自分の優先順位の中でやっているのなら…「うーん,どうしよう?○○したいんだけど,でももっと仕事の方がしたい!」ってなる。ストレスになんかなるわけない。俗にいう…“嬉しい悩み”になるもんな。
//規律と統制で組織を作るのは…もう古い//
確かにね。
“誰かが決めた一つの仕事観,価値観”の下に,それをルール化し統制していく(ティール組織の本でいうところの「アンバー」の組織=縦社会)は,もう古い。
ネット時代には…まさしく化石。
あ,上司もね。
規律や常識でしか統制が取れない上司は…魅力もないし,もはや選ばれない。
そもそも上司って,ただ規律や常識に胡坐(あぐら)かいてるだけだもんね。就活の面接官と同じで,そもそも偉そうにする権利なんかない(笑)。そこを十分自覚しないと。
偉そうにする上司,偉そうにする面接官多すぎ説。
まだ,金出している経営者が偉そうなのはわかるけど,権限を委譲されているに過ぎない上司や面接官が偉そうにしていたら…その人のレベルの低さと器量の悪さに笑いが出てくる。
だからね…就活している学生や,新人さんは…偉そうに振る舞っている面接官や上司に出会ったら,思いっきり馬鹿にして笑っていればいいんだよ(笑)。
但し“心の中”でひっそりとね。同類に思われないように,グッと笑いを堪えるんだよ(笑)。秘儀!怒っている相手を,心の中で馬鹿にすることで一切気にしない,記憶に残さない術の巻き!(笑)。若い頃,よく使った技。
//新しい組織,新しい働き方//
話を元に戻して…
今後求められる新しい組織,新しい働き方って…簡単に言うと
誰もが自分の仕事観,価値観で働ける世界
ってことになる。それが実現すれば…
・自分の優先順位のまま意思決定ができる
→だからストレスが無くなり他人にも優しくなれる
・他人の優先順位を尊重できる
→自分が尊重されているから,他人を尊重できるようになる
結果,「他人のミスを…寛容以上に,全く気にならなくなる」
というか…そもそも“ミス”の概念も無くなる。ただのトラブル。自分も他人も起こす可能性のあるものなので,どう乗り越えるのかが重要なのであって,責任の所在や,怒りというものが無駄だとわかる。心の余裕も出てくるし。
え?でも。
そんなことしたらバラバラにならない。それこそ統制が取れないのでは?嫌なことは誰がするの?本当に強い組織が出来上がる?目標達成できるの?
はい。それが…できるんです。
長くなったので…そのあたりは次の回にでも。
(つづく)