きょうという日は「思い出」に変わっていく。
どんなことを思い、どんなことを語り合い、どんなことを分かち合い、、、
どんな高価なプレゼントより、きっと何気ない楽しい日常が、
一番キラキラした思い出なんだと思うから。。。


岡本家
女の子チームで参上した
ピアノ演奏会。

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会場には一足先に
母が待っていた。


2時間。

祖母と母の間に
ちょこんと座り
静かに耳を傾け続けた
11歳と7歳の2人の少女。


発表会の終盤はおそらく
2人の
集中力を司る中枢は
きっと限界だったに違いない。


いよいよ最後の曲。

演者は
このコンサートの主宰者で
母の恩師。


ピアノ歴60年の集大成。


ずっと
ベートーベンピアノソナタを
弾き続けた師が
コンサートの
最後に観客に届けた曲は


これまで
紡ぎ続けたベートーベンでなく


だれも予想しなかった
ショパンだった。


ショパン ノクターン
遺作 嬰ハ短調


細くしなやかにつたう
その美しい旋律。


どこか寂しげに響く
繊細な音に
観客は息をするのをためらった。


音楽のチカラ。

それは
曲そのものの良さだけにあらず。

楽しむだけの良さにとどまらず。


音楽は、
それとともに
心に、頭に、体に刻んだ
各人の、その瞬間の物語までをも
鮮明に再現することを可能にする。


小学校2年の夏。

母が
演奏会に向けて練習していたのが、
このショパンのノクターンだった。


朝起きた時も

私が学校から帰って来た時も

夕飯が終わった後も

母は
ずっとショパンのノクターンを
弾き続けた。

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私たち兄弟3人は
母のそばでかくれんぼをした。

母のそばで鬼ごっこをした。

母のそばでじゃれ合った。

母が弾く
ショパンのノクターンを聞きながら。


暑い夏の日。

兄弟3人で冷風扇を取り合った。


1小節目を耳にしただけで、
もう30年も前のことなのに
色鮮やかに蘇る。



なぜだろう。


私は
泣けて泣けて仕方がなかった。


懐かしさ。

寂しさ。

歳月の感慨深さ。

経年の無情さ。

そして余生の貴重さ。


還暦を過ぎた母の隣には
当時の私と同じ
小学2年生の次女が
母に寄り添うように座っていた。


大きな会場の演奏会に
私は生きてきた軌跡を見た。


そして
その一角の小さな座席に
私はこれからの未来を見た。



ずっとこのままでいたい。


でも
それが叶わないのが
生きるということ。

歩き続けるということ。




母の隣に座っていた長女に
演奏終了後、涙のわけを話した。



「そっか!じゃあさ、
きっと私たちにとっての
その曲(ショパンノクターン)は
アレだね、発表会で弾いたヤツ、
テンペストだね!」


そう言って笑った。


「そうだね。」

母は静かに応えた。


私たちの「現在」が
ほどなくして「過去」となる。


そしてまた1日。

きょうという日は思い出に変わる。


どんな記憶を
彼女達は刻んでいくのだろう。


そして
どんな思い出を
残してあげることができるのだろう。


でも思い出って
きっと
毎日の何気ないことが
一番のタカラモノだったりする。

私がそうだったように・・・。

時間は過ぎるもの。

時間は輝かせるもの。

でも
やはり思うんです。

このまま時が止まってしまえばいいのに・・・
と。



きょうの何気ない1日も
きっと家族で過ごした
とびっきりの思い出。



きょうも無事に
みんなで楽しく過ごす事が出来た事は
きっと奇跡。


ありがとうございました。


今日も明日も明後日も
みんな元気に
仲良く過ごせますように・・・。


長文お付き合い頂き
ありがとうございました。

どうぞ皆様も
無事にお過ごし下さい。



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