阪神淡路大震災。


高校3年生だったあの日。

テレビに写し出される惨劇を、


現実として受け止めきれずに、


言葉を失った17歳の冬。

あまりにひどい惨状を、言葉で形容するのは、、、


自分にとって、


とても無謀なことでした。

どんな言葉も薄っぺらに聞こえてしまいそうな恐さがありました。


あれから17年。


当時の自分の年齢から、


ちょうど2倍の時間が過ぎた34歳の春。


東日本大震災が起こりました。


同じく突然の惨劇、目を覆いたくなるような惨状に、

私は、言葉はおろか、意識さえも失いそうになりました。


震えが止まりませんでした。


遠く離れた鹿児島にいて、

心がえぐられるような衝撃。

いわんや被災地の方をや…。

家、家族、仲間、友、恋人、思い出、


大切なものを亡くした傷は、

簡単に癒すことはできません。


むしろ、その傷と生涯付き合っていかねばなりません。


幸せはみんなの幸せの中にある…


自分の家族だけが助かったという、


被災地の少女が、


当時取材にあたっていた夫に発した言葉です。


人が悲しみの渦にある中で得た幸せは、


幸せでないと感じたという、

体験からの言葉でしょう。

私が、いつものように、夜遅くなった我が子を迎えに行くと


『きょうも迎えに来てくれてありがとうございました。』と我が子は言う。


そんな何気ない言葉に、


お互いが無事で、そして帰る場所があることのありがたさを感じるのです。


いつもどおりの日常が、突然奪われる悲しみ、苦しみ、いかばかりかと、


ただひたすらに胸が苦しくなるのです。


そして、そんな中にも、強くたくましく復興を、復活を遂げる姿に、


心から敬礼申し上げるのですm(__)m


人を助けるのは人であり、

心を癒すのは心であると感じるからこそ、


うまく言葉を見つけることはできませんが、


この気持ちを失わないこと、風化させないこと、そして、次世代に伝えてゆくことが、


今を生きる私たちが出来ることなのではないかと思うのです。


月並みですが、そう信じて、これからも、


今を大事に生きていこうと思います。


最後に、亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。