1/2の確率を外し続けているような気がするって前にも書いたような気がする。

それで、1/2かわからんけどとにかく、正解か不正解があるとしたら、常に間違った方を選んでるんじゃないか…?って気がする。

間違った方じゃなくとも、あんまりよくない方を選んでいるような…?

例えば。聞くか聞かないか迷って聞かなかったら、やっぱり聞けばよかった…!てなるみたいな。

というか昨日がまさにそうで。

仕事で利用者がこう言ってきた!ていうのをまずは1回は施設長に伝えたよね。もちろん。

「Aをやって様子見して下さい」って言われた。

Aをする。

しかしうまく行かない。

この時「あのーAしたけどうまく行かないんです…」と言いに行くか迷った。

様子見してくださいってことは様子見してくださいってことじゃない?って。つまり一晩はそれで様子見して。

ていうか自分で考えろって感じじゃない?

あんまり何回も聞きに行くと。

というのも。

もう施設長(とか事務所とか)帰る時間だからだ。

帰る間際に「◯◯さんがやっぱりこれじゃうまく行かないからどうにかしてくれって言うんです…」って言いに行くの?

残業確定なるよね。

もう帰る時間なのに…というか、何ならもうすぎてるよね。

何で皆んなが帰る間際とか帰った後とかに言い出すんだろー。

昼とか職員多い時間に言えばまだ対処してもらえたのに。

とかウダウダ考えてるうちに本当に帰ってしまう。

で、後からやっぱり聞けばよかったかー!ってなる。

もし「自分で何とかしてっ」とか言われたとしても(いやこんな言われ方はせんだろうけど)それはそれでスッキリしていたかもしれない。

つまり、一応は相談したけどこう言われたので、自分で考えた行動をすればいいのだね?というある意味言質をもらえるので…

その考えた結果がどうだろうと。

また、「様子見して」と言われたとしても、言われた通りにしているのだからとある意味安心して様子見できる。

が、聞かなかったら「えっと…様子見でいいんだよね?」と疑問を感じながらの様子見するより精神衛生上いいとかナントカ

つまりは「上に聞いた」という安心感を得た方がとりあえずはよかったんじゃないかと。


要するに「わからなかったら聞け」と「自分で考えろ」のボーダーがいまだにわからないな…

20代の時からわからなかったが、歳を取ろうとわからないものはわかりません。

正解はないのかもしれない。

同じ問題が起きても、時と場合と人による。

私の場合はとにかく迷ったら聞けの方が良いかもしれない…(安心感を得るため)

あとはあれだな。

自分で自覚することだな。

「あっまた弱気モードになってるな」とか気づいて1/2の確率を外すんなら自分が選びそうな逆を行けばいいんだから…

それで本当に1/2を外してるのか、逆を選んだ場合でも確率は同じようなものなのか(つまりどっち選んでも選んだ方を間違いだと思っているのか)わかるし。