台風来てるね。運休してくれないかな?わーい(嬉しい顔)
学校が休みの日に暴風警報はもったいないよ・・・


ここの所女性状況の業績が過去に例がない位悪く窮地に立たされている。
これを改善すべく7年ぶりにお見合いパーティーに行ってきた。

職場割引が使える所がいい。ってことで白い鍵にした。
ボールペンもゲン担ぎで白いのにしたぜ(^^)
なおエヴァ同様、ここはボールペンを忘れても貸してくれる。
クソシオは飲み物も出ずボールペン販売で金を取られるからもう二度と行かんぷっくっくな顔無駄に高いしね。

男側のプロフィールはこんな感じだ。



女性側はこちら。この日は男14人、女12人であった。



まずは会場に入り職場割引後の金額4,000円を支払った。
4,000円って落ち着いて考えると滅茶苦茶高いよね泣き顔

席に着きプロフィールカードに書き込みだ。
このカードなのだが意外と書くのが難しい。
というのも1:1で全員と2分程喋るのだが、相手に印象つけないといけないのだ。
無難な事ばかり書いても覚えてもらえないし、かといって嘘も書けない。ウソを書けなくもないが、嘘ついてライン等交換できても絶対うまくいかない。
ある程度自分をさらけ出す必要もあるのだ。
ということで私なりに「軽め」ではあるものの自分というのを出して書いてみた。
あくまで「軽め」だが自殺してしまった先輩のお家の間取り同様突っ込み所は多いと思うあせあせ(飛び散る汗)



用紙に書き込みをしていると隣の席に女性が座った。
その女性は席に着くなり紙を点線にそってビリビリと切り取り出したのだ。
これは慣れている証拠、ここに何度も来ているのだろう。
女はタダ同然の金額で来ており、「今ここで誰か合格者を出す必要はないし、該当者がいなければ別日タダでまた参加すればいい」と思っている。

しかし男には5,000円程度の参加費という大きな痛みがあるので「今日この中で誰かをGET(合格)させなければならない」という本能が働く。
例えるなら女は県立高校で定員割れでも廃校にならない。
男は私立高校なので定員割れは廃校になる恐れがあるのでバカでも合格させなければならない。この違いがある。

今回は男30~42、女28~42歳位の集まりだったと思う。
定刻になりパーティーがスタートした。

まずは隣に座っていた女性からだ。
やはり何回か参加していたようだ。旅行が趣味のようだが、私みたく温泉とかではなく海外旅行に行っているようだ。顔は水川あさみ風だったと思う。
そう思っていると時間となり席を移動した。席を移動するのは男のみでメモ用紙にも色々書かねばばらない。



次に話した女性はメガネをした可愛い女性だった。
話をする時もこっちの方を見て「ウンウン」と頷いてくれる。
ろりっこ心くすぐる女性である。これはいい。後に私の中で1番人気になるのだが、この時はまだ2人目なのでとりあえずメモ用紙には「めがねっ子」と書いておいたw

次に話した人は歯科衛生士であった。3番人気位にしたかな?歯医者なのに木曜休みではないようだ。

4番目に話した女性は唯一女性で年齢未記入のおばさんであった。医療関係との事だが看護師ではないという。おばちゃん興味ない。評価は一番悪くしておいたが、まみち故の愚痴を言えてスッキリしたw

5番目のが曲者だった。(詳細は今度)

7番目の女は30歳と参加女性の中で一番若かった。メモにも「30」と書いてあるが他には特に印象なかった。

9番目の女性は愛知県職員だという。福利厚生の事とか色々聞いたがどうも公務員っぽくない。30歳過ぎて公務員になっているのも少し微妙だ。
あれじゃねぇ?県立病院の期間限定事務員とかじゃねぇ?
後で知るがこの女性はダントツの一番人気であった。まぁ私も公務員プロフに釣られ2番希望にしたんだけどねw


11番目に話した女性はバスに理解のある人で「お仕事大変ですよね。KISとか乗ってきたら遅れるから大変なんじゃない?」とか言ってくるのでこちらもスイッチが入ってしまい余計な事までベラベラ話してしまった。
私に金とまみち故と仕事の話をさせてはいけない!

このような感じで1:1の時間は終了した。

つづく。

 

伊勢湾台風60年の写真展が博物館で行われているので行ってみた。
館内は撮影禁止なので紹介できるのはこの写真のみ。手前に写っている線路は名鉄常滑線のもの。



鶴舞線に乗って大須に行く事にした。
やってきた電車は今年7月に甲種をしデビューしたてのN3010Fであった。
年内産ぴかぴか(新しい)



大須観音で下車予定だったが撮影をしたかったので終点の上小田井まで乗る事にした。犬山行きとかじゃなくてよかった(^^)
姉キッコロ「ピカピカだねぴかぴか(新しい)
ワシ「キッコロとは違うねぴかぴか(新しい)
姉キッコロ「ぶつぶつ・・・ボケーっとした顔



この列車は見送り10分後に来た赤い電車に乗って大須で降りた。
現在鶴舞線は土日10分ヘッドの運転で豊田線直通列車は1時間4本位だったと思う。
今でこそ大半がN3000形や3050形だが、ちょっと前までは旧型のチョッパー車である3000形もたくさん走っていた。
子供の頃、鶴舞線を走る赤い電車(名鉄100形等)に乗りたく、お婆ちゃんは駅員に「次、赤い電車はいつ来るか?」問い合わせてくれた。
当時豊田線直通列車は30分に1本程度で、名鉄車両の本数は今よりも少なく貴重(?)だったのだ。
姉キッコロ「ねぇねぇ、チョッパーってさ、ブレーキかけた瞬間にエアーの音がするじゃん。ブレーキを緩めてエアーの音がするならともかく、何でブレーキを掛けた時にエアーの音がするの?」
ワシ「あれはよ、ブレーキを掛けた瞬間は回生ではなくまず空気ブレーキが掛かるんだよ。んで回生に切り替わるのと同時に空制ブレーキが緩むからエアーの音がするんだぞむふっ回生や電制は必ず効くとは限らないからな電車
姉キッコロ「さすがお兄ちゃん(^^)良く知ってるねウインクキッコロは21世紀製造の純電気ブレーキだよわーい(嬉しい顔)
ワシ「へぇ~むふっ
姉キッコロ「チョッパー世代のお兄ちゃんより回生率高いよウインク
ワシ「おじいちゃんは?」
姉キッコロ「おじいちゃんは手ブレーキの鋳鉄シューだよ。鉄粉ムンムンブタ
ワシ「へぇー」
姉キッコロ「お兄ちゃんも平成二桁女性と付き合う事ができたら主電動機更新しなよぴかぴか(新しい)
ワシ「はいはい・・・」

大須に到着した。
増税前に食べておかないとね。


ここの銀だこは3代目史子さんとよく来た思い出の場所なんだ(^^)
姉キッコロ「今回はドリンク買ったんだね」
ワシ「前まではエコキップ提示したらお茶もらえたのにね・・・」
姉キッコロ「でもたこ焼きになぜ100%オレンジ?」
ワシ「これが一番原価高いからだむふっ
姉キッコロ「キッコロ・・・あせあせ

大須では大道芸が行われていた。
適当にバスに乗ったりし時間を潰そう・・・

伏見には古い地下街があるのだ。繊維の店が多かったようだが現在そのような店はない。
入口からして昭和の香りがプンプンするね。



名古屋の地下鉄は昭和32年11月15日に開通し、この地下街は翌16日にオープンしたそうだ。
もうねぇ、階段から半端ない昭和32年の香りがしてくるよ!!



最近改装されたようで、奥の方(駅から反対側)には飲み屋もあるが、冷房が無くムンムンしていた。



シャッターが下りたままの店舗も相当数ある。



ここに名前が挙がっている人はもう全員この世にはいないんだろうね。



伏見の街をぶらぶら歩き夜になった。
この後はおよそ7年ぶりのお見合いパーティーである。
今年の女関連の欠員状態は非常に悪くこの窮地をなんとか乗り越える為に参加する事にしたのだ。
男の定価は5,500円前後だが、女性は無料もしくは高くても1000円程度である。
この金額の差については納得できない点も多いが、男女とも5000円程の所に行くと崖っぷちの難あり女が必死こいて来ているので質が非常に悪い。
一方無料の所は冷やかし半分ではあるがまだ何とか普通レベルの人も来ているのだ。
別に今すぐ結婚したいわけでもないので金銭的に腹立つが女無料のPの方が良いと判断したのだ。
姉キッコロ「良い人来ると良いね(^^)」



つづく・・・

 

この前、三岐鉄道で桑名に行った際、30年ぶりに桑名市民病院(跡地)に行ってきた。
平成元年8月20日に祖父母と祖母の姉と4人で長島方面に旅行に出掛けた。
木曽川でシジミ採りをしている時に祖母が倒れ桑名市民病院に入院したのだ。
8月20日は平日だと思い込んでいたが、当時の手帳を見て日曜日だった事を知った。30年前の子供の記憶なんて充てにならんね・・・

祖父が書いたと思われるが、倒れたのは16時頃だったようだ。夕方であった事は覚えている。



一部毒親の妹である2女が書いたであろう記録も残されていた。
ページの右半分は誰が見舞いに来たか等詳細に書かれている。



祖母が倒れた事で我が家はパニックになった。
いつか亡くなる事は分かっていたが、祖母は元気な64歳だったので「今」その時が訪れるとは誰も思ってなかった。
当時39歳であった長男である現毒親(現在の私の年齢と同じなんだね)は桑名の病院に寝泊まりし名古屋の職場まで通っていた。
ICUに入り意識もなく人工呼吸器を付けているのでそこで寝泊まりしても何ら看病の足しにはならないが、息子として大好きな母親の近くにいたかったのだろう。
母親がいない者からすると大変だとは思うが少々羨ましい光景だ。

夫であった祖父は家から会社に通っていた。
祖父は当時66歳だったがフルタイムで働いていた。今でこそ65歳過ぎて働くのは当たり前だが、55歳定年後も再就職し働いていたので祖父は仕事のできる人だったのだろう。
昭和63年の冬のボーナスは総額90万も貰っていたようだ・・・課長職だったと思う。

祖母は約40日後の平成元年10月に亡くなった。
それ以来桑名市民病院には一度も行ってなかったが、今年は祖母が亡くなり30年の節目であり、目的は違うとはいえ桑名に行くのだから病院にも行ってみようと思ったのだ。

調べた所桑名市民病院はその後「桑名西医療センター」へと名前を変え、桑名駅前にできた病院と統合され閉鎖になったようだ。
昭和41年に建設され老朽化も進み規模も中途半端で駅からの便もあまり良くなかった。

お見舞いに行くときは名古屋駅から近鉄に乗り桑名まで行きそこからM交通の中型バスで病院に向かうのだが、このバスは1時間に1本程しかなく駅から病院まで歩いて行く事も多かった。
駅から病院までは徒歩15~20分程なのだが、小3の私には遠く感じ「バスで行きたい」とゴネ、現在の私とタメである彼に酷く怒られた・・・

中型のいすゞバスで形までは覚えてないがおそらく年代からして6Eとかだったと思う。モノコックボディーではなくスケルトンであったバス
バスは直行で病院には行かず色んな所を寄りながら向かっていたので徒歩だろうとバスだろうと所要時間は然程変わらなかったと思う。
入院している期間は台風シーズンだったので39歳の彼は雨の日も、風の日も桑名駅と往復していたのだろう。
今回30年ぶりに歩いたが、全くどこを歩いたか記憶にない。
駅前には商店街があったと思うが、北勢線は駅裏なので商店街等はなかった。

直線の道はなく住宅街をクネクネ歩く必要がある。
しばらくすると重機のエンジン音と何かを壊しているような音が聞こえて来た。
病院が閉鎖されているのは知っていたが、ネットの空中写真では建物は現存していた。
明らかに良くない予感がする。



はい、モロに解体中でした涙


この坂もあまり記憶にないなぁ。ただね、この坂を登った先に入口があり近くに売店と食事できる所があったはずだ。
ここで祖母の姉に「カレーが食べたい!」と言ったのだが「大丈夫?辛くて食べられないかもよ。」と心配された。
残念ながらカレーを食べたかどうかの記憶はない。
健在だった頃(拾い)



祖母が亡くなり30年が経ち、祖母が最後に過ごした病院も無くなった。
時代も平成から令和に変わった。
当時39歳だった彼は「両親」の年齢をも超し69歳になり、当時9歳だった私は彼が母親を亡くした時の年齢と同じ39歳になった。

令和となった今、本来ならば私にも9歳位の子供が数人いなければならないが、それが出来てない事についてはご先祖様に申し訳ないと思っている。
しかし残してはいけない遺伝子というのも存在するし、私にはもうそんな気力は残っていない。

どこで我が家が崩壊の道に進んだか今日は言うつもりもないが、こうなるべくしてなった事だと思う。

祖母が亡くなったのは誰のせいでもない。寿命であり運命であり仕方のない事だ。
あと25年生きたら祖母の年齢に追いついてしまう。
祖母自身64歳で亡くなるなんて想定してなかったと思う。

あと何年生きられるかわからないし、次に命を繋げる事はもうできないが与えられた命を大切にし生きていこうと思う。それが私にできる親孝行である。

おしまい。


 

毎年1回、三岐鉄道に乗り回しに行く事になっている。
今の時期なら昼間は暖かく、非冷房車の窓を開けても嫌がられないし、夜もそんなに寒くない。
東員駅のコスモス畑も見る事ができる(^^)
最近休みの度に天気が悪くなかなか出かけられずにいた。ちょっと天気は微妙だが台風の翌日に行ってみた。

朝一は湯の山温泉のアクアイグニスからである。
朝7時からオープンしているので家を5:40分頃に出発した。
知らない間に隣に高速道路が出来ていた。
車のアクアが嫌いなまみち故は、アクアイグニスを略して「アクア」と言うと文句言ってくるんだよブタ
同敷地内にはまみち故が大好きな辻口シェフの店もある。



朝風呂に入った後は三岐鉄道三岐線の丹生川駅に行こう。ここで1日乗車券を買うのだ。
三岐線は田舎の過疎路線だが、1駅を除き有人駅で鉄道用の無料駐車場があるのがありがたい。
10月からの増税で1日券は1100円から1200円に上がっていた・・・
良くない天気…雨もパラパラしてきた。
キッコロ「NIGHT OF FIRE♪」
ワシ「いや、そのパラパラじゃなくて・・・あせあせ(飛び散る汗)



三岐線は北勢線に比べてそこまで面白くないので全線乗車だけしておけばいい。
丹生川→富田
富田→西藤原
西藤原→丹生川
このように乗車した。各終点では折り返しまで30分程時間がある。



復刻カラー電車が運行されていた。線路脇に咲く彼岸花も綺麗だ。
富田手前では貨物線の線路が分岐する。まっすぐ進むとJRの富田駅に向かうようだが、旅客営業列車は曲がり近鉄の富田側に向かう。

反対の終点である西藤原ではSL等の車両が3両保存されている。
駅前広場ではミニ列車の運行が毎週日曜日に行われていたが今は開催回数が激減したようだ。
採用直後のまみち故と行ったが内心詰まらんなと思っていたと思うよむふっ
終点手前では他に客はいなかった。最高速度は70キロだが軌道があまりよくなくコイルバネ台車という事もあってかとにかく揺れる。もうねぇ、キッコロ振り飛ばされそうだったもんw



このED22 2号は大正末期に3両製造され色々な事業者の元使用され全て引退したものの3両とも各地で生き残っている(現存している)運のいい電気機関車達である。
三岐鉄道では昭和59年に引退し屋根付きの所で保管・展示されていたが再整備されこの地で保存される事になった。



西藤原には藤原岳の登山口がある。


小学校6年生の時、ボーイスカウトで登った山だが、その時も三岐鉄道を利用した。
行きは釣り掛け車で帰りは違ったと思う。電動車に乗りたいと言ったら「勝手な行動は慎むようにと怒られたぜ・・・電動車に乗りたいのは男として当然!
国道のおにぎり標識萌え~ハート

ここから丹生川に戻り北勢線の東員駅に車を走らせよう。
まずはコスモス畑を見たかったが少しまだ早かったようだ。残念がる姉キッコロ・・・


鉄道娘「楚原れんげ」だって。
黄色の小さい可愛い電車。阿下喜方面が電動車(一部改造あり)なので電動車側に乗ろう。
中でも緑とクリーム色の277号は固定クロスシートで運転席横からの展望がよく一番お気に入りの電車だ(^^)
電車を選んで乗ったりしていたので・・・
東員→楚原
楚原→西桑名
西桑名→星川(餃子の王将の為)
星川→大泉
大泉→東員
東員→阿下喜
阿下喜→西桑名
西桑名→楚原
楚原→東員
というメンヘラ乗車である。最後に東員に着いたのは20時過ぎであった。
桑名では新車のバスがあり、7Eもまだ生きていた。

カオスな雰囲気の地下街。
「階段下で大便しないでください」って事は大便する奴がいるんだね。怖いよ・・・



女探しも並行して行わないといけなく、バッテリーがとにかくヤバかった。
今年の冬このバッテリーで乗り切れるかなぁ?
北勢線の一番面白い区間は楚原→麻生田(おうだ)間であるが、電車と区間運転の関係とはいえこの区間を1回しか乗らなかったのは残念である。

近鉄から離れた養老鉄道にも昭和30年代後期の「新車」が入ったようなので来年暖かくなったら行ってみようと思う。
おしまい。

 

日本車両周辺をウロウロした後は2018年6月9日に開館した豊川海軍工廠(こうしょう)平和公園に行こう。
ここで戦争で海軍が使う機銃や弾丸を製造しており、昭和20年8月7日の空襲で2,500名以上の方が亡くなったという。


平和交流館と旧第三信管置場。



平和交流館には無料で見学する事ができ、1日に数回旧第一火薬庫と旧第三信管置場の見学ができるというが、ちょうどお昼休みの時間帯だったので見学できなかった。
 


第三信管置場を囲う土塁とトンネル(左上)
旧関ケ原メナードランド周辺にも同じようなのがたくさんあり、あちらの方が雰囲気出ていたと思う。
下は旧第一火薬庫。
右上は近くにあった窓が割れた建物。特に説明はなかった(公園敷地外)

この後は三菱レイヨン豊橋工場の近くにあった「パチンコJ1跡地」を見よう。


去年1月に閉店となり建物の工事が行われていた(左上)
営業されていた頃の同地(右上)2016年5月
1円の普通機がたくさん稼働していた店内(右下)
近くにある三菱レイヨン豊橋工場の社宅。スリーダイヤがかっこいい(左下)

パチンコ日報(2019年2月4日付)で豊橋にある「1000台規模のパチンコ店を4人で回す?」という記事があった。
https://pachinko-nippo.com/?m=20190204

前から興味あったので行ってみる事にした。
日報によると総台数は1111台で1Fパチンコ591台、2Fスロット520台との事だ。スタッフが腕にしているのは時計ではなく、遊技機の呼び出しボタンと連携されており呼び出された場合は振動と島の番号で表示し知らせるという。
景品カウンターはセルフ方式を採用し、景品の払い出しまで客がセルフで行うという。
完全禁煙なので煙草の臭いがせず快適だった。
喫煙室はあるが、現在電子タバコについては席でも吸えるようになったらしく、灰皿の代わりに小さな紙コップが置かれていた。
台周りには灰皿もなくすっきりしている。



次は高師駅近くにある高師公園に行こう。
キッコロ「高師に振られて〇〇〇(←ワシ)に振られた♪」
豊橋鉄道高師駅付近からユニチカ豊橋工場に向けて専用線が通っていたのだ。
工場は閉鎖され跡地は住宅地として造成中だという。その様子を見たかったのだ。



工事中の工場跡地(左上)踏切のポールは今でも残っている(右上)
レールも所々で残っているがそのうち剥がされるであろう。

公園内を専用線は縦断していた。
下の写真あたりで公園内に曲がっていたと思われる。



この後は三谷温泉松風園で電車でGO頑張れ運転士をやりまくろう。
7月に行った時は「蚊」にやられたので今回は蚊取り線香を持参した。
長時間プレーするとお尻が痛くなるだろうから座布団を持って行こうと思っていたが忘れたので年中車の中に入っているラリっくまのひざ掛けを座布団代わりに使おう。
100円2クレジットなので100円で1時間近く遊ぶことができる(^^)
300円、つまり3時間も遊んだぜわーい(嬉しい顔)
良いお天気。正面に見える島は渥美半島だ。



3時間後は夜である。
海の夜景ってのもなかなかいいねぴかぴか(新しい)今度はキッコロではなく人間の女の人と一緒に見たいぴかぴか(新しい)
さぁ、ここから1時間ちょいかけてお家に帰ろう。



天気は良かったが風が強く燃費は34キロとあまり伸びなかった。

豊橋へのお出かけ終了。暑い1日でした・・・

 

前回豊橋に行ったのは2016年5月末だったようでその後の様子を見るべく3年ぶりに豊橋に出掛けて来た。

まずは幸田駅近くにあった三菱レイヨン幸田工場跡地を見に行こう。
昭和40年代まで幸田駅から工場まで専用線が通っていたのだ。
現在はそれらしい痕跡は何も残っていない。
それでは空中写真を見てみよう。
 


上の写真は昭和52年の物だが既に専用線が剥がされてしまっている様子が分かる。赤線より先(右側)に線路が伸びていたはずだ。
赤丸部分の建物は工場時代からあったものだ。

工場敷地内は細長い。右半分の建物はいかにも工場そのものだが、左半分の細長い建物も工場だったのだろうか?それか社宅だろうか?
このあたりの話は幸田村生まれの「彼」に聞けば詳しく教えて貰えると思うが聞けない。

下半分は現在の様子である。
工場跡地は幸田役場・公園の他住宅地になっている。

では地上の写真を・・・
役場から続くこの敷地内の道が線路跡だという。
役場の向こうにJR東海道線がある。


運動場。
小キッコロ「おじいちゃんの工場はもう無くなっちゃったけど、若き日のお爺ちゃんはこの地で働いていたんだね(^^)」
ワシ「周りの風景は変わったけど、おじいさんは、あの山、この山とか眺めていたんだろうねわーい(嬉しい顔)
小キッコロ「おじいちゃんの聖地巡礼をしておじいちゃんも喜んでくれていると思うよウインク
ワシ「我が家を途絶えさせてしまった事に関してはご先祖様に申し訳ないと思っているけど、某先輩と違い与えられた命を粗末にする事無く生きていこうと思う。キッコロちゃんこれからもお付き合いよろしくねわーい(嬉しい顔)
小キッコロ「キッコロハート

続いて向かったのは岡崎南公園だ。
ここに名鉄の連接車モ401号と国鉄のSL D51 688号が保存されているのだ。
まずはモ401号から・・・
ここに初めて来たのは平成元年3月末から4月上旬にかけてだ。
飼ったばかりの犬を連れて矢作川上流にドライブ行った際寄ったと思われる。当時は祖父母とも健在で辛うじて「家族」として成り立っていた時代である。
このモ401号は岡崎には縁もゆかりもないが、何故かここで保存されている。



小さな車両2両をくっつけて連接車にしたのだが、工事費が高かったか何かで改造されたのはこの1編成のみだった。


運転席の空気圧計が変。バイクのメーターみたくなってないか?



一方こちらのSLはJRからの借り物であったが、最近岡崎市所有になったという。
その為商標(?)として利用できるようになったようで保存会から2,000円の本が出版された。
ちょっと高いがカラー写真で分かりやすい説明が入っているのでSLの勉強用&募金活動のつもりで購入した。
というのも、ここに動く状態の電車が停まっていて「はい、動かしていいですよ」と言われたら運転レベルではないにせよ電車を動かす事はできると思う。
しかし蒸気満々のSLが置いてあり「さぁどうぞ」と言われてもSLの動かし方すらわからない。
名鉄ファンからするとSLは完全に範囲外で全く知識がないのだ。
SLは各地で保存されており知識を持つことにより静態保存されているSL観賞が楽しくなるに違いない。



月1回日曜日にHSSTと共に内部公開されているようなので次回は日にちを合わせて行ってみよう。

この後は某人妻さんの元お家をストーカーして舞木に向かった。
(懐かしかったなぁ。たまにお迎えとかしたなぁ。近くのラーメン屋にも行ったなぁ。まみち故在職してたなぁwってかあいつの方が後に知り合って先にいなくなったんだよw)
ワシ「師匠お久しぶりです(^^)」
モ3401「ん?」
ワシ「師匠、私の事忘れてますよね?ボケーっとした顔
パパン「パパンボケーっとした顔
モ3401「おお、パパンさんのとこの子か。思い出したわーい(嬉しい顔)
ワシ「そんな事で思い出すなんて・・・あせあせ(飛び散る汗)
パノラマカーもちょろっと見た。



暑いのでさっと師匠に挨拶を済ませた後は、日本車輌豊川工場へと向かった。
近くにグランドがあるのでそこに車を停めてウロウロしよう。
師匠の兄であるモ811号も元気そうだ。



これまで工場側には行った事がなかった。
東京方面で使用されるであろう電車が停まっていた。
専用線の扉が開いているのでこの日も何らかの運用(入替等)があるのかもしれない。



1067mの他、1435m用と思われるレールもあるが、この辺りにあるだけで専用線の殆どの区間は1067mレールだけだ。他の区間も見るべきだったが、まだまだ行かなければならない所はあるので急ぎ目で次の所に向かった。

つづく。

 

9月は様々なお祝いのある忙しい月だ。
仕事に関しては勤続12年目に突入した。
この11年何人辞めただろうか?(忘れた)何人クビになっただろうか?(数名)
知っている人だけでも何人運転士が自殺しただろうか?(5名)

辛い事・腹の立つ事が非常に多く本当に使い物にならない人間になってしまったが、成長はしてないとはいえこうして生き残っている事、仕事を続けられている事を感謝したい。

9月7日の鶴舞線甲種の時に凡そ10年ぶりに廃バス関係の方とお会いする事ができた。
本部の方なのだが、出身(入社)は同じ会社だという。試験を受けて本部に移動されたそうだ。
現バスに入った11年前、本部採用のHさんに「〇〇君は▲▲さんと知合いみたいだね。昨日飲んできたよ(^^)」と言われたのでこんなに人数が多くても横のつながりはあるんだなぁと思った。
あと数年で定年との事だったが、定年退職後の給料がガクンと下がるらしくこちらでも退職者が相次いでいる。定年=ゴールという時代では無くなってしまった。
「なんとか(会社で)生き残ってます」と言った所「ちゃんとやっているから続けられているんだよ!」と言ってもらえたのがものすごく嬉しかった。
当たり前の事を当たり前にやるのは社会人として普通の事だが、それすらできない人もたまにいる。
バスの運転士は一般的なサービス業と違い特に問題なければ定年までみんながみんな働ける職場だ。
この11年でバスからお金を盗んでクビになった人もいれば、法を犯して逮捕されクビになった人もいる。
こうして11年勤め上げれた事は非常に嬉しい(^^)

撮影終了後にちょうどバスが来てしまい、後先考えずにバスに乗ってしまったあせあせ(飛び散る汗)部署は違うとはいえ同じ会社の大先輩からもっとお話しを聞かせてもらうべきだった涙(この日一番の後悔・・・)

さて、20日はまみち故を諭旨解雇した記念日だぴかぴか(新しい)
あれから3年も経ったんだね。まみち故婚期間の1年半は地獄で長く感じたがこの3年間はあっという間だった。
それを記念して徳兵衛の食べ放題にまた行ってきた。
前回は税込み3,214円の一番安いコースだったが、今回は昼飯を抜き1,000円高い真ん中の4,298円にした。
480円皿(一部580円皿もOK)まで食べられる。
 


うなぎはおいしいが、380円で脂分が多くコスパが悪い。
蟹グラタンは480円でうまうまわーい(嬉しい顔)
中トロは480円だがこれも脂身が多いので要注意だ。
一番良いのはさっぱりとした本ずわい蟹480円だ。これならたくさん食べられる!!
 


カズノコはあまり好きではないけど上限480円なので注文した。
ホタテ貝480円、海鮮汁380円。トロ鉄火480円、蟹の甲羅焼きは唯一の580円料理。2個食べたw


デザートの練乳イチゴアイスは380円。
480円の海鮮サラダは食べ放題適用外だった・・・胃をさっぱりさせるのに良いのにね・・・

結果は・・・
380円皿5枚
480円皿12枚
580円皿2枚
合計9,525円分を4,298円で食べる事ができました(^^)

食べたいものを食べるのではなく、単価が高いものを食べるという意地汚い性格がそのまま出ました。ねっ、成長しとらんでしょ?ふらふら

現在3連休中だが、天気の悪い日が続いてしまった。
映画を観に行く事にした。キッコロは恋愛物が好きなので「かぐや様は告白させたい」を観た。
土曜という事もあり席が思ったより埋った。


隣に中学生カップルの女の子が座ったのでドキドキだ。ってか普通、男側に女は座らせないだろうと思ったが、スクリーン中央寄りに座らせたかったのだろう。
短めのパンツで膝が露出している。たまらんねーハート
左手でポップコーンをモゾモゾしながら食べている。ついつい無意識で手を握っちゃわないよう気をつけた。
映画なんてろくな思い出ないからなぁ。
6代目ごみちこと行った時はポップコーンが入ってる紙袋を床に置いたので後で注意したら泣かれたし、別日にはスタッフロール中に携帯を出し操作したので注意したらまた泣かれた。
7代目まみち故と行った時は1話完結型ではなく、前半・後半に分かれた映画だったらしく終わった後、「まぁ、俺はもう後半はいいでお前一人で観に行ってくれ」と言ったら激しくキレられ泣かれた。ほんと面倒くさい。
次付き合う相手は映画で揉めない人がいい。


花姉キッコロ「ねぇねぇ、これ取ってよわーい(嬉しい顔)
ワシ「はい、どうぞ」


花姉キッコロ「ちょっと違くない?ボケーっとした顔
ワシ「用途は同じだろ?これでいい。今年2月に亡くなった先輩にも「キッコロのおもちゃにするでちょうだい」と言って貰ったなぁ涙

新しいグランドクロスが稼働していた。金玉ばかりになったんかな?
JP抽選の当たり箇所が「固定」でなくなったのが良いね(^^)



9月25日は我が家のキッコロの誕生日だ。毎年この時期全員でモリコロパークに行くのだが天気が悪くてまだ行けてないでいる。
10月上旬には行きたいなぁわーい(嬉しい顔)

おまけ・・・
数日前、某サイトにて42歳のおばちゃんと知り合ったのね。
いつ休みか聞かれたので「平日休みが多い」と答えたら「じゃあ、会いやすいね」ってメール来たの。
更にメール初日なのに「今夜空いてますか?」と来たの。
さすがに既婚者だし、翌日早番なのでこの日の面接はないなと思いつつライン交換したんだ。
そして速攻で終わったw
このおばさんは独身の39歳に何を求めていたんだろう?
成長してないな俺ブタ

 

パチンコの正村ゲージを考案した正村竹一の会社である正村商会は2010年6月24日付けで自己破産したが、パチンコ業の他にホテルの運営もしていた。

自己破産と同時にホテルは休業その後売却され現在は他社による運営が続けられている。正村が愛した妙高・赤倉温泉ホテル太閤を紹介します。

昭和27年頃から別荘を建てたいと考えていた正村は熱海・箱根・伊豆・軽井沢・を見てまわったが決め手となるものはなく時間が過ぎていった。
ある日長野出身の正村関係者より赤倉の地を紹介された際、えらく気に入り別荘を建てる事にした。
美しい山林を眺めている時、「ここなら土地も安く手に入るし庶民の為の旅館を建てよう」とひらめいた。

昭和30年8月、2100坪を購入し工事に着手。昭和31年12月ホテル太閤が開業した。
木造2階建て客室19室。昭和32年には東館を増築し、昭和36年に鉄筋コンクリートの南館、南館別館が完成し、300名収容の大型旅館となった。

昭和50年10月18日午前7時25分、正村竹一は69年の生涯を閉じた。
息子の勝一氏は本館の建て替えを己の手で成し遂げる事が父の思いをなかえる子供としての務めだと腹をくくった。
本館建て替えの図面は昭和45年にはできていたが、体調が悪かった正村には赤倉は遠すぎた。

昭和54年12月、現在の本館完成。

昭和60年12月、東館増築完成し、客室66、最大収容人数550名妙高高原赤倉温泉ホテル太閤が誕生した。

赤倉温泉ホテル太閤。


 



古い(S51年)空中写真と現在を比較してみよう。
赤矢印部分が有名な円盤風呂である。現在円盤風呂は無いので昭和54年の建て替え時に普通の露天風呂になったのかもしれない。
南館においては現在と同じなので昭和36年建設当時のままだと思われる。



では館内に入ろう。立ち寄り入浴は800円である。今回はお風呂よりも館内散策を楽しみたい。
フロントの人に「正村時代を感じれるものはないか?」と聞いたが、「会社も違うし特にないです」と言われた・・・涙
まずは正村竹一が造った建物を見に行こう。パチンコの神様である正村の香りや想いを感じたい。


フロント奥には銅像があった。かつては水が流れていたっぽい。
銅像のタイトルは「裸婦」であるハート
正村商会時代からある銅像だろう。
正村の筆頭弟子である津村徹(名古屋駅・金山駅にあった日新観光創業者)は銅像が好きな方だったと思う。日新観光会長室には正村竹一・千代子夫妻の銅像が向き合って置かれていたというし、PNJK(プレイランドニュージャパン金山店)にも銅像がいくつか建物にくっついていた。
この銅像の出所はわからないが、津村氏から正村(ホテル太閤)へのプレゼントだったら嬉しい。


ゲームコーナーがあった。勝一氏時代にもゲームコーナーはあったと思うが歴史のある手打ちパチンコとか置かれていたのだろうか?
今はふつーのつまらないゲームコーナーである。
コンクリートの南館。ひょっとしたら南別館かもしれないが、これはナマで竹一も見ていたもののはずだ。正村竹一が直接見たものを見れたのは正村資料館に置かれていた物以外では初めてだ。少しお近づきになれた気がする。そう思うとこの味気ないコンクリートも愛おしい。

ではお風呂に入ろう。
お風呂入口にはサウナの操作盤があった。
昭和54年の建物なので正村竹一は触れてないと思うが、勝一氏、健市氏は触れていたであろう。そう思うとこのサウナ操作盤も愛おしくなり蓋を開けてみた。
はい、キッコロに怒られたので怪しい行為は自重しよう・・・もうやだ~(悲しい顔)


お風呂は円盤風呂こそなかったが眺めが良く、斑尾(まだら)高原もよく見えた。
風呂そのものは竹一時代とは違うが、美しい景色は今も昔も変わらないであろう。



入浴を終え、再び館内をウロウロした。明らかに不審者であるw



コンベンションホール入口。
何らかの大きなホールがあるのだろう。人が周りにいて売店からも丸見えなので中の様子を伺う事ができなかった。
昭和54年12月、本館落成記念パーティーが行われた。千代子夫人は終始にこやかだったという。ひょっとしたらこのホールでパーティーが行われたのかもしれない。
次回はこっそり中を見てみよう。



フロント。



フロントに写真が飾られていた。
よく見ると…
そこには寛仁親王殿下のお姿がある。「夫婦」ではないので公務での訪問では無さそうだ。
撮影日は平成12年1月12日とある。



寛仁親王殿下は福祉の支援事業で愛知県の遊技業界とつながりがあった。
愛知県遊技業界として福祉事業の「お手伝い企画」が業界関係者を集めてのチャリティーゴルフ大会だった。
殿下から「チャリティーはお金を集めて恵む事を言うので好ましくない」とのご意見が出たので大会名は「ウエルフェア・ゴルフトーナメント」に改められた。
トーナメントの収益金は社会福祉法人「AJU自立の家」に寄付された。
この大会は殿下が考案された募金ルールがあるという。

・ショートホールをパーで上がれなかった人・・・1000円罰金
・バーディーを取った人・・・2000円のご祝儀を払う
(ゴルフやらないので何の事かさっぱり・・・)

大会には120~150人参加していたので罰金だけでも30万を超えていたという。
殿下自身参加費はもちろん罰金も払っていたという。

ゴルフ大会は昭和63年毎年1回、春または秋に開催されている。

寛仁親王殿下と愛知県遊技業界との繋がりを作った方こそフシミコーポレーション会長の深谷友尋氏だ。


フシミコーポレーションは愛知県下3店舗のパチンコ店運営を行っており、別会社で輸入ハウスも扱っているようだ。
深谷会長の経歴がものすごく面白い。深谷会長の父親は正村竹一との繋がりがあり昭和26年熱田でパチンコ屋兼アイスキャンディー屋を経営していた。
正村勝一氏とも同世代で正村家と強く深いつながりがあったはずだ。



寛仁親王殿下がホテル太閤に泊まられたのもこれらの親交があったからに違いない。

ネットの書込みによると深谷会長は天白の店でオープンを待っている客に自ら出向き挨拶をしていたという。

なお2003年5月に発行された愛知県遊技業協同組合40年史の中に役員名簿があるのだが、
顧問の中に大村愛知県知事の名前がある。
50年史には祝辞を述べられておりパチンコに対して理解があるのだろう。前名古屋市長である松原氏も祝辞を述べられているが、50年史では河村たかし名古屋市長からの祝辞はない。

河村たかしは名古屋を盛り上げようとしているような気もしないでもないが、名古屋はパチンコ発祥の地なのでそれこそパチンコをも使い名古屋を盛り上げてほしい。
祝辞すらない事を考えるとアンチ・パチンコ派なのかもれない。



ちょっと話が脱線したが、ホテル太閤に正村商会時代のものが残っていて良かった。
寛仁親王殿下の右側に写っている女性がホテル太閤の綾子女将ではないだろうか。

正村商会は無くなってしまったが、正村が愛した山々の美しい眺めやホテル太閤はまだ生きている。
来年5月新緑を見に正村の愛した赤倉温泉に行こういい気分(温泉)

おしまい。

 

2日目は国道8号経由で赤倉温泉に向かう。体調は良い感じ。調子悪い時には早く寝るに限るね眠い(睡眠)行程の関係で湯快リゾートでの無料カラオケは諦め9時頃に出発だ車(セダン)
途中の道の駅にて。
キッコロ「もしもしカメよ カメさんよぉ~♪」


標高1000mの所にある燕温泉に行った。6月にも行こうと思ったのだが燃料が少なくなっており不安だったので行くのを辞めたのだ。
有名な露天風呂が二つありまずは上の方に行った。
写真では伝わりにくいがかなりの急坂。
この坂を2速で登ったぜあせあせ(飛び散る汗)

目指すは混浴の方だが、こちらではなかったので下り混浴露天風呂を目指した。
この坂を3速排気で下ったぜあせあせ(飛び散る汗)


混浴は川沿いの道を10分程歩けばいい。高低差が無いので楽だった。吊り橋を渡り左に曲がると混浴露天風呂だいい気分(温泉)
濁り湯の硫黄泉だいい気分(温泉)温度は温くワニに適しているハート達(複数ハート)
硫黄濃度は乗鞍高原温泉よりかは薄いが比較的濃くタオルや衣服に臭いがしみ込む。
素晴らしい温泉であった。
予め1.5Lのペットボトルお茶を用意し若い女性を待った。
話しによると50代の単独女性がちょっと前まで入浴していたそうだ。
しばらくすると女1名、男3名の団体が現れた。
女の人は30歳前後だろうか?入浴を期待したが入ることは無く男2名が入って来た。その様子を何ら抵抗感なく女性は見つめていた。フルちんで入浴している男と普通に接しているってどういう関係なのだろう?
複数で楽しんでいるのだろうか?ハート達(複数ハート)考えただけでもwkwkするネハート
仲間に入れてほしい。4M1Tでも良いですよ!!
今更ながら三好25と知り合った時、前日に6P(4M2T)したらしい。
そんなのがトヨタ自動車と結婚できるとは分からないものだ。俺は絶対嫌だ。まだ経験数少ない濡れない女の方がいい。
若い女性が来るまで粘りたかったが、他にしなければならない事もあるので諦めた。
貸切にならなかったのが残念・・・
バカに粘着されませんように。
常磐自動車道の件同様、バカに関わる事自体負けである。
パチンコだって現金投資した時、負けからはじまるじゃんね!


ここから200m程下ると正村竹一が愛した赤倉温泉だいい気分(温泉)
今回念願であったホテル太閤の湯に入る事ができた(次回紹介)

天気も良く山々を眺める事ができた。
今回もビジネスプランでの宿泊だ。ビジネスの場合1人でも追加料金が取られない。
赤倉温泉は複数の源泉を混ぜて使用されている。女将さんの話だと暑い時期は熱い源泉を絞り気味で供給されているとの事だ。
6月に行った時より湯の臭いがマイルドだったのはその関係かもしれない。
ビジネスプランという事で料理面では明らかな「格差」があったが仕方ない。
貸切露天風呂が良い感じだった。キッコロらとお風呂で写真撮るのは初めてかも。


夜も天気が良く星空を期待したが月が結構勃起状態で明るく思ったより星はみえなかった。数日後中秋の名月なので仕方ない・・・
でも名古屋の星空よりかは素晴らしかった。露天風呂からの星空も良い感じだったぴかぴか(新しい)

3日目は赤倉から一気に名古屋に帰らなければならない。
今回の旅行は3泊で行うべき内容だった為行程がかなりキツく高速道路も多用した。
信濃から塩尻まで高速を利用しそこからはひたすら国道19号で南下した。
久々の「くるまや」
毒親は学生時代ヒッチハイクしてトラックの運転士さんに「くるまや」でご馳走してもらったと言っていた。どこの「くるまや」だろうか?
お蕎麦を食べている時雨が降って来た。路面が乾くまで少し休憩しよう。
今回の旅行唯一の雨だが、止んでからの運転なので雨率は0%である。
キッコロ「ちょいとお待ちよくるまやさん♪」
地元出身力士の御嶽海推し。


この後は南木曽にあるD51-351号を見た。近くの高校の授業の一環でバエスポット制作の為ハートの椅子が設置されていた。


久々の桃介橋。福沢諭吉の娘婿の名前である。


老朽化により一時期通行不可となっていたが、平成初期に再整備された。
大正時代のレールも一部残っている。
元鉄道橋(トロッコ程度だと思う)なので200人位までなら歩く事ができるという。


赤倉温泉の標高は800m程だと言われている。
標高差があるとはいえ帰りの燃費は素晴らしかった。300キロ走行超えで燃費計40キロ超えは新記録である。
高速道路を78キロで走行しているトラックがおりそれに張り付いたのが良かったのだろう。


かなりきつい行程ではあったが、素晴らしい天候のもと無事帰路についた家
次回は10月の長野県渋温泉旅行予定だ。

走行データー

全761キロ 燃費計36.6キロ(実33キロ程度)平均速度54キロ 運転時分832分


赤倉温泉太閤に続く。

終点の欅平に到着した。
電気機関車+13両×2編成が同時に停められるホームなのでとにかく長い。
機関車の付け替えが行われている所。茶色の特別客車は今年製造されたばかりでピカピカだぴかぴか(新しい)



普通客車と新車の特別客車。



電気機関車の運転室。
当然非冷房だし抵抗器の熱とかも伝わってくるかもしれない。
自動空気ブレーキであった。下り坂では電制も使っているのかもしれないが、機関車から離れていたので何にもそれらしい音は聞こえてこなかった。



欅平はトロッコの終点ではあるが、この先もレールが続いている。
標高600mの所にあるがこの先は軌道エレベーターで一気に200mも上がってからの「上部軌道」と呼ばれる専用線がある。
年に数回抽選イベントで乗車できるようだ。
詳しくは田中義人さんのページをどうぞ。
http://tsushima-keibendo.a.la9.jp/kurobe/kurobe1.html

赤い橋を渡った先にある人喰岩。たまに落石があるようでヘルメットが置かれている。



折り返しまで50分程あったがあっという間に時間が過ぎてしまった。
帰りも超満員のトロッコに乗らねばならない・・・背もたれがないのもキツい。

欅平から先に「水平歩道」と呼ばれる山の岩をくり貫いて造られた「歩道」がある。
この歩道は大変危険で毎年何人か落下して亡くなっているという。すれ違い困難な場所も多くその場合はすれ違いができる所までどちらかが下がらなければならない。
詳しくはこちらをどうぞ。
https://matome.naver.jp/odai/2136880195800698301

猫又駅には発電所があり、専用線も続いている。
また黒薙駅にも専用線が分岐しており、黒薙温泉方面に向かっている。
かつてはこの現役トンネルを歩いて黒薙温泉に行かせてもらえたそうだが、今は通行禁止となり山を大回りして行かなければならないようだ。
なお宇奈月温泉はこの黒薙から引湯されている。



とちの湯の先にプチ水平歩道がある。
今も歩けるのだろうか?



鉄道・トロッコ好きであっても睡眠4時間、300キロ走行後なので疲れてしまった。
他の人たちもグッタリしている。晴れているのは大変ありがたいが、窓も背もたれもなく日光がモロに差し込んで来る。女性陣は顔を隠すように乗車していた。
まだ見ぬ8代目彼女もしくは2代目嫁とも来たいが、楽しんでくれるだろうか?

やまびこ橋からの眺め。



ようやく宇奈月駅に到着した。この日の終車はもう終わっているが翌日に向けて付け替え作業が行われていた。



大正15年から昭和59年まで使用されたEB5号が展示されている。
去年12月に来た時はシートで覆われており見る事ができなかった。(冬眠ってやつです)



トロッコの旅はここで終わりだ。
・水平歩道
・冬季歩道
・上部軌道
・高熱隧道

宇奈月には独特な四字熟語があるね(^^)


私は見た目に反して疲労でボロボロだが、ボロボロのキッコロはまだまだ元気そう。ボロいけど7歳の女の子だもんねウインク
係長キッコロ「なんかカタツムリさんみたいな電車だね(^^)」



駅周辺では「EMUうなづき」という無料の電気バスが走っていた。


側面2ヵ所に番号が書かれている電車は珍しいと思う。独特の形式名なんだよね。出力=形式番号になっているようだ。
110kwモーター車=174PS=「174××」らしい。
マニアじゃないからよくわからないわぁw
湯快リゾートの部屋からは3両編成の電車も見えた。

湯快リゾート宇奈月には16:30頃にチェックインした。夕食は17:30からなのでさっとお風呂に入ろう。
お風呂でも疲労からか気持ち悪さは続いており心拍数が無駄に速い。
こりゃあ良くないのでさっさと上がり部屋で20分程横になった。

夕食の時間を遅めに変えてもらおうかと思ったが変なチャイナー団体とかいたら嫌なので17:45分に会場に向かった。
宇奈月はピザがあったりと他の湯快リゾートよりちょっと豪華だ。
お寿司フェアも開催されており、うなぎにぎりもある。
ってか場所は違うとはいえ10日前にも湯快リゾートに行っているので全く感動が無いあせあせ(飛び散る汗)
キッコロ「さぁさぁ食べられ~♪」(←湯快リゾート宇奈月スタッフの掛け声)



20時からのポツンと一軒家を見たら急に眠くなってきたので21時に就寝した。こんな早くに寝たのは何年ぶりだろうか?

朝起きると幾分体調が良くなっていた。ただ完璧ではないので油断はできない。
朝ごはんに出て来たクロワッサンは焼きたてアツアツであった(^^)
ちょっと小さいような気がするが食べ放題なのでたくさん食べれば良いだけだ。
以前白浜千畳湯快で焼きたてをパクパク食べていたら隣にいた老夫婦に
「お兄ちゃんがあまりにも美味しそうに食べるから私たちもついついつられてたくさん食べちゃった(^^)」と話しかけられた。
これを帰宅後まみち故に伝えたら「おいしそうではなく、卑しいんだよボケーっとした顔」とか言い出したので喧嘩になった。何でそういう言い方しかできないのかな?ぷっくっくな顔謝らせたけどねwバーカw

2日目は宇奈月から国道8号経由で赤倉温泉に向かう。


つづく。