2024.02 Okinawa(NAHA)その06 那覇へ来たらここは外せません | アラ古希ジジイのスーダラ人生 呑んだり食ったり旅したり

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2024年最初の遠征は沖縄(那覇)、今回はいつものボッチ旅とは違って現地那覇でブロ友さんとお会いする旅です。

羽田空港から飛行機でブーンと飛んで那覇へ、ホテルに無事チェックインできました。

なおいつものことですが、今回も一般的に観光と言われるような行動は一切しておりません。

では2日目スタートです。

 

 

 Day02 首里城公園

 

 

ポー玉とばくだんでしっかり朝ごはんを食べてHPフルチャージ、出発です。

 

 

まず向かったのは牧志駅

 

 

 

ゆいレールに乗ります。

 

 

 

途中誰とは申し上げられませんが、とあるブロ友さんの秘密基地を発見!!

「おおい!」と呼んでみましたが返事なし。

もしかしたらお忍びで1人じゃないのでバレないようにしてるのか、他のホテルの浮気してるのか.....これは案件ですなニヤリニヤリニヤリ

 

 

 

そして首里駅で下車、歩きます。

 

 

 

歩いていても花が咲いてる家が多くて、和みますね。

 

 

 

この物置小屋のような首里石鹸の店舗、じつはここが首里石鹸に第1号店舗で本店なんです。

いまや那覇市内のみならず25店舗を展開してますが、この小さなお店から始まったんですね。

 

 

そして県立芸大の方へ曲がって

 

 

オイラここから見るこの風景が好きなんです。

 

 

 

円鑑池のバリケンくん達も元気です。

 

 

 

途中にはこんな看板がありました。

首里城の下に旧日本軍司令部の地下壕があり、戦後調査もされないままになってました。

最近その調査に向けて機運が高まり、予算も付いたようですね。

 

 

 

守礼門までやってきました。

そういえば新紙幣の発行に伴って旧紙幣は段階的になくなっていくんだけど、二千円札はどうなるんだろ。

 

 

守礼門の手前には花の鉢が並んでいます、なかなかいい雰囲気ですよね。

 

 

 

門前では琉装の記念写真屋さんも営業を再開してました。

 

 

 

では場内へ入ります。

 

 

 

こちらで入場券を購入するのですが、オイラは沖縄へ行ったときは毎回首里城へ行ってるので、

 

 

 

今回年間パスポートを購入しちゃいました。

お値段は800円也、一般の入場券が400円ですから年間2回以上行けば元が取れる計算になります。

年間パスポートの発行は現地だけでなくwebからもできますので、復興支援の一部として是非ご利用ください。

 

 

 

では課金エリアに入場します。

ここで年間パスポートを見せると服務小姐から「いつもありがとうございます。」と言葉を掛けられるのでちょっと嬉しい気分になっちゃいます。

 

 

 

中に入ったら、もう正殿は完成してました(これは絵です)。

 

 

 

では仮設通路を通って見学エリアに向かいます。

 

 

 

施工管理おじさんによると、今日の作業は「モックアップ製作・軒まわり型おこし」のようです。

 

 

 

こちらは原寸場・木材加工エリアです。

中には瓦を取り付けたモックアップもあり、いよいよ復興作業も佳境に入ってきたことがうかがえます。

 

 

 

2階では名称がわからないけど、正殿正面中央の破風屋根部分が組み立てられていました。

 

 

 

3階は屋根フロア、骨組みがかなりできあがってきました。

 

各部署をこの位置、この目線で見れるのは復旧工事期間中しかできません。

完成したらこの屋根も下から見上げることできなくなっちゃうので、沖縄に行った際にはぜひ写真を撮って記録に残しておいてください。

 

今回も首里城公園はここでおしまい、東(あがり)のあざなへは疲れるのでいってません。

 

 

では帰りますかね。

帰りは往路のルートと違って

 

 

こちらから

 

 

駐車場横の小路を降ります。

 

 

 

このルートは首里金城町石畳道といって、16世紀に作られて当時は首里城から豊見城城を経て那覇港まで約9km続いていた街道です。

残念ながら現在ではこの付近に300mほどしか残っていませんが、琉球王国時代の城下町の風情を感じられる道路です。

 

 

 

この道路へ接続する小路も同じような石畳の舗装になっています。

 

 

 

そして途中にあるのが金城村屋、金城町の公民館として使われていますが休憩所として解放されています。

 

 

 

その隣にあるのが金城大樋川(キンジョウウフヒージャー)という共同井戸です。

 

 

 

この井戸は各家に水道が整備される前は、生活用水としてこの水が使われていました。

 

 

 

そしてここにあった1枚の写真、

 

 

 

建物こそ違ってますが、雰囲気は当時そのまんまですね。

 

 

そしてさらに坂を下ります。

 

 

 

オイラは下りでもヒーヒー言ってるのに、当時の人たちはココを上下していたんですね。

 

 

 

この民家の門扉、これが水平になってます。

この水平を基準にすると道路の勾配がわかりやすいのではないでしょうか。

 

 

 

そして坂の終わりにあるのが首里殿内(すいどぅんち)

 

沖縄料理のお店です。

 

 

 

ここまで石畳道を降りてきました。

 

降りてきたのはいいのですがね、この道路にはバスが走ってはいるのですが2~3時間に1本あるかないかという使えないバス路線 。 。 。 。 。

今降りてきた道を戻る(登る)気持ちはさらさらありませんので

 

 

 

なので素直にタクシーで牧志駅まで戻りました。