2023年11月、沖縄に行って参りました。
いつものことですが沖縄で観光なんぞする気は全くなく、那覇市内からは一歩も外へでません。
沖縄県庁を基準と考えると一番遠くまで逝った場所は首里城公園、なので沖縄と言うより那覇と考えてください。
なので沖縄観光の参考にしようと考えてる方には、オイラの記事はお勧めしませんのでご了承ください。
08.Nov-03首里城公園と戦争遺跡
首里城公園の東のアザナ、首里城で一番高い場所にあり、市内を一望できます。
では下へ降りて那覇市街地へ戻りましょう。
下りてきたところにある売店の入口に
看板ニャンコがいましたのでしばし遊んでもらいました。
沖縄は暖かいからニャンコも楽でしょうね。
そしてさらに下りてちょっち横道に逸れると . . . . .なお人生の横道ではないのでご安心ください。
何やら奥にコンクリートで囲われた入口風のモノが 。 。 。 。 。
「第32軍司令部壕」
太平洋戦争末期の沖縄戦で旧日本軍の司令部が置かれた地下壕で、毎日観光客が大勢来る首里城の下に埋もれている戦争の遺跡です。
以前はこの辺りは草に埋もれていたのですが、きれいに草刈りされていました。
県がその地下壕の保存調査に入るということでしたので、その準備でしょうか。
前回の記事でもこの壕についてはチョイと触れました。
沖縄の戦争遺跡と言えばひめゆりの塔や平和祈念公園や海軍壕等の南部戦跡ばかり有名になってます。
首里城を観光で訪れる皆さんの中でその足下にこんな山荘遺跡が埋もれていることを知ってる方はほとんどいないでしょうね。
そして龍譚方面から弁財天方面へ行くとこのエリアの主であるバリケンの群れが現れます。
人間に危害は加えないけど、こんだけいるとちょっと怖いよ。
沖縄師範学校は現在の県立芸術大学の敷地にあって沖縄戦では鉄血勤皇隊が構成されて多くの犠牲者を出しています。
華やかな首里城公園を後にしてきてちょっと凹む話しで申しわけありませんが、沖縄の歴史の上では避けて通ることのできないことなのであえて書かせていただきました。
さて帰りはゆいレールの1日乗車券を持ってるので首里駅まで歩くつもりでしたが、ちょうどバス停まで来たらバスが来たので、ヘタレなオイラはバスに乗っちゃいました。
そして再び【YOU】さんの秘密基地の横を通ったので呼んだのですが、返事がなかったのでいなかったようです。
そして牧志のバス停で下りて
牧志駅の歩道橋から下にある巨大なシーサーが見えます。
このシーサーは「さいおんうふシーサー」というそうでして、「さいおん」というのは琉球王朝時代の宰相「蔡温」のことで「うふ」は沖縄の方言で「大きい」の意味だそうです。
そして市場本通りにやってきました。
さて 。 。 。 。 。