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 音楽の研究授業をすることになった、さあどうしようと思ったときは逆に考えてみればいい。

 音楽の研究授業を参観するとき、参観者はまず何を見るか?という視点に立って考えればいいのだ。

 

 僕の場合に限って言えば、音楽の研究授業では、まず

①“しつけ”を見る。それにより指導者の生徒指導力・学級経営力を感じる。そして

②子どもが授業(音楽)を楽しんでるか、を見る。さらに

③いい声づくり・表情づくりをしてるか、で、その指導者の力量やイメージの高さを見る。

 

 つまりこの3点ができていれば、“いい授業”を観させていただいたなあ、と思うわけだ。

 もちろん、“いい授業”だったとしても、その研究授業での“目標”がどうであったか、手立てが効果的に活きていたかなど、は別問題だ。

 

 以下、研究授業の時、気をつけたいこと。

 

● 小学1年生で授業を行う場合目の前の子どもたちが、幼稚園や保育園でどれだけのものを培ってきたか、ある程度の把握は必要だ。けっこう幼稚園の指導はハードで高度だったりする。地域の幼稚園の学芸会を一度のぞいておくといい。

 また、運動会のリズムダンスとのあまりの違いってのも違和感がある。運動会ではすごいリズムのダンスをしているのに、授業では余りに幼いことを扱っているってパターンがあるからだ。

 こういう場合、音楽という教科を子どもたちが徐々に馬鹿にしていく可能性もある。ぼくらは、常に子どもたちの“知的好奇心をくすぐる”教材開発や手だてを講じるべきだ。

 

● 「音楽の授業」という独特の空間づくりが必要。

 話し合いの時、話し合い隊形にするのといっしょだ。

 日頃の授業から机なしだったり、音(歌)の洪水(歌歌歌・・・で攻めていく)の導入だったり、先生の立ち位置はピアノの前から動かず、じゃなく常に子どもの中だったり・・・。

 

● 地声と歌声の違いを教師がしっかりと把握する。

 特に低学年の音楽授業は専科の先生じゃなく担任が行うと思うが、音楽専門じゃなくてもそれくらいは勉強していないと、子どもは伸びない。1年生だから地声でよいなんて思わず、1年生からちゃんとした“声づくり”をしていきたい。

 

● 授業にあきてしまう子には、発達障害など多動の場合と、出来てしまってやることがなくなった場合と2通りある。後者は、上位の子への手だてをきちんと取っているかが大きな課題。

 研究授業のときだけではなく、日頃の授業から、教師はいくつかの手だて(楽器を持たせる、先生の代わりをさせる、別のパートorリズムを担当させるetc.)をもって対処する。

 

● “言語活動の充実”を見誤らない

 この文言が指導要領に出てきてから、多くの音楽の研究授業がつまらなくなった。授業内容にやたら話し合いが多すぎるのだ。

 音でかかわる話し合いならいいのだが、授業が始まって半分以上が普通に言葉だけの話し合い・・・。こうやって歌いたいという気持ちはあってもそれを「実際に」どうあらわすかが難しいのが音楽なのに、音を出さずに机上の空論大会。話し合いの中で、誰かが一フレーズ歌いながら、「こうしたい」とかやるなら、それこそすごい授業になるのだが。

 机上の空論にしないためには、パートごと、もしくは全体で、話し合いながら実際に声を出して何度も何度もチャレンジするべきだ。でないと、意識は育ったが実際の歌は全然上達しなかったっていう授業に陥る。

 

 最後に・・・。

 

 音楽の授業では、男女の仲のよさが大きく関係するが、中学校では特に、ソプラノやアルトに男子が混じっていたりすると、それだけでこのクラスはいいクラスなんだなあと感じる。

 一人一人の声の質を教師が理解し、子どもが自分のもっているもの(声)のよさを理解している現れだからだ。

 

 研究授業の協議会に出ると、参観者の中には褒めるだけの人がいる。僕の所属していた市の音楽部では特にそうだった。(関係者がいたらごめんなさい。もちろんそうじゃない人もいましたよ。)

 いい授業でも、必ずそこには何か皆で話し合える“視点”があるはずだ。それを見つけて協議会で投げかけて、さらにいい授業づくりへとつなげていかなければならない。褒めるだけって、授業を観ていないのと同じだと僕は思っている。(※次回はこの“課題”について)

 

<他にも以下にいくつか載せています>