教師としての“成果”って、やっぱり“子どもの成長”だろう。
(※今回は、退職前年度に書いた、職員向けの自由気ままなお便りから。)
でも、この成果って、普通のサラリーマンと違って、数字で表せられないし、誰にも評価してもらえない。やりがいはあるんだけど、その点ではちょっとむなしかったりもする?
それに、その成果は年度内には出ず、2~3年後に生きてきたり、場合によっては、さらに先のことも。
それでも僕らはその子の成長した姿を夢見て日々指導している。
こう考えると、教師ってやっぱり聖職者(今は死語?)だなあって思ったりもする。
先日、30年前の教え子たちの学年同窓会に招待された。
この学年には、うちの奥さんをはじめ、赤星前阪神選手らがいる思い出深い学年だ。
そこで、一人の教え子が話しかけてきて、
「先生のおかげで今の僕があります。」と熱く言われた。
聞けば、彼は僕の音楽授業で、ギターを学びその魅力にとりつかれ、さらに授業でやった各種楽器のアンサンブルで、楽器を通して人と和することの喜びを知ったそうだ。
そして彼はそれにのめり込み、彼のライフワークになり、パンクバンドを結成。10年以上も活躍を続け、メジャーデビューしCDを出すまでに。
奥さんともその過程で知り合ったそうで、
「僕の人生は、先生の授業があったからです。」とすごく感謝された。
そのお礼が言いたくて、同窓会に出席したそうだ。
こんな話を聞くと、ああ、僕らのやってることって、人の人生を左右させる力があるんだなあって改めて思うし、その責任の重大さも再認識する。
そしてやりがいを実感するのだ。
けっきょく、子どもたちの成長がかい間見えたとき、僕らはかかわりの成果を実感でき、彼らとかかわることに喜びを感じられるんだよね。
教師って、なかなかお目にかかれないこの“宝物”を得るために、日々努力をし続けるんだろうな。