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 僕は、サウジアラビアで働くことになった。

 サウジを内側から見たその様々な「魅力」の記録第14弾

 今回は一時帰国した日本の空港で、まさかの入国禁止を言い渡された「PCR騒動編」

 

 前回、親切な受付のお姉さんのおかげで、無事に陰性証明がとれたし、書式が違う点も、成田では日本語が通じるわけだから、どうとでもなると高をくくって帰国の途についた。


 当初予定していたドバイ乗継の便は、アラブ首長国連邦のコロナ蔓延で直前に欠航となり、ドーハ乗継のカタール航空となった。

 リヤド-ドーハ間は1時間余りのフライトだが、満席で、密集密接空間だった。

 

 ドバイ乗継便の場合、乗継時間は2時間ほどだったのが、ドーハ乗継は8時間もあった。しかし、ドーハの空港はとても大きくきれいで、変な超でかいマスコット以外は、

横になれるソファが用意されていたり、テレビや音楽が聴けるコーナーがあったりと、けっこう快適だった。

 

 ドーハ-成田間の10時間フライトでは、2度の機内食が出て、サウジに来るとき乗ったエティハド航空より確実においしかったし、座席で見られる日本語音声の映画も豊富にあったし、なんといっても、座席がすきすきに配置されており、僕は中央の4席を独り占めだったので、足を伸ばしてゆっくり寝られた。毛布も4人分あった。

 

 19:00 無事に成田着。ここからが、コロナ禍のため、通常とは違う動きだった。

 飛行機を降りるとそのまま3列に並ばされ、来た国ごとにグループ分けされ椅子に座らされた。係の人が数人いて書類がそろっているかチェックされた後、それをもって書類受付の窓口へ。ここまでで降機してから1時間たっている。

 20:00 ところが、ここで思わぬ展開。デルタラボでもらった書類には「Nasopharyngeal Swab=鼻咽頭ぬぐい液」という検査名の記載がないと指摘され、列から外され皆と違う場所(廊下)で待機させられてしまったのだ。

 そのたった一言の文言がないために、この書類では入国できないと言われた。

 係のカタール航空職員の方(日本人の偉いさん)が、サウジ支店に連絡をとってくれ、デルタラボに電話して、その書類に追記内容を記載し再送してもらえるか聞いてくれるという。

 20:25 同時に、僕からも同様のことを現地の友人に頼めということで、同僚に連絡を取り、デルタラボに電話を入れてくれるよう依頼した。
 22:00 待つこと、2時間。

 最初、もう一人いた僕と同じ状況で足止めをくっていた外国人はすでに解決して行ってしまった。静かな廊下に僕と係の人二人だけ。

「23時には諸機関が閉まってしまい、そうすると入国することができず、空港で夜を明かしてもらうことになります。」

そう告げられ、その覚悟をした。まるで2004年のトム・ハンクス主演の「ターミナル」のようだ。

 成田まで迎えに来て、外で待ってくれている奥さんにも、その旨を連絡した。

 

 22:34 静かな廊下に着信音。同僚からのラインだ。

「これでどうですか?」

 まさに天から“蜘蛛の糸”が降りてきた瞬間だった! 添付されている書類には確かにその文言の記載があった。アラビア語でも併記してある。

 係の方に「これでいいか」と見せていると、係の方のスマホにも現地機関から同じ書類が届き、無事にそれが認められた。


 22:45 そこから、誰もいなくなった各箇所を、係の人がついてくれてまわった。

 まずは、唾液検体によるPCR検査。3時間以上水分を取っていなかった僕には、これは困難な作業だった。水を飲んでもいいかと聞いたら、もちろんダメと言われ、苦労して出し切った。

 水を買う場所もなく、その後、アプリのチェックや使用法の説明を受け、別室で待っていると、係の人がお菓子と水を差し入れてくださり、やっと生き返った。

 23:35 「陰性です」との連絡が来て、ようやく通常の入国審査へ。入国審査用ブースにはもう係の人はおらず、事務所の窓越しに審査を受けた。

 手荷物受取場にポツンと残された僕の荷物をカートに乗せ、最後の税関ゲートへ。係の方からねぎらいの言葉をいただいた。

 23:50 ㊗入国。空港内にはすでに誰の姿もなかった。


 

 問題がなければ、3時間弱で入国できるようだが、実に5時間かかってしまった。その分、“貴重な体験”をさせていただいた。
 ちなみに、僕のような例は、日に一人、多くて二人ということで、いまどき検査法が書いてない書類は珍しいそう。

 

 その後、奥さんの車を交替で運転して、朝6時に懐かしの我が家に着いた。

 家に着いてすぐ、卵かけご飯を食べ、お世話になった方たちにもう一度感謝をしながら、深い眠りについたのだった。