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 僕は定年退職後、サウジアラビアで3年間働くことになった。

 仕事の詳細を述べるのは、このブログではやめておくが、サウジという通常、訪れる機会がめったにないだろう国の内側から見たその様々な「魅力」を、ここに記録していこうと思う。

 

 なぜ訪れる機会がなかったかというと、サウジアラビアは、1年半前の2019年9月末まで、「宗教鎖国」状態であったからだ。「異教徒が入国を許されるのはサッカーの世界大会の時だけ」という状態がやっと解除され、ビザが誰にでもおりるようになったわけだ。

 しかし、「開国」後、半年もたたないうちにコロナ旋風により、また入国ができなくなってしまった。よって、僕自身も4月赴任がかなわず、渡航できたのは10月に入ってからだった。

 渡航記録第1回の今回は、その渡航の際のアクシデントを含めた様子を紹介しよう。

 

 10月上旬、やっと渡航することができた。

 そこに至るまで二度三度、渡航決定?いやできない?という状態が続き、9月末など、渡航確実かと思っていたら、3日前に飛行機が運休になったと連絡が来て、PCR検査や東京への切符などいろいろキャンセルしなければならなかった。

 だから、10月上旬の渡航予定もあまり信じていなかったところ、直前になって今度は本当かもしれないと、あわてて準備をしたのだった(そのため、いろいろ忘れ物をしてしまった)

 PCR検査を渡航前日早朝に車で片道1時間半かかる病院で受け(それでもそこが一番近かった)、その結果を夕方もう一度行ってもらってきて、翌日東京へ向かった。現在は陰性証明書は72時間有効といわれているが当時は48時間だったし、有効なのは受検時刻からか書類受領時刻からかわからなかったため、これで本当に入国可能なのか最後まで不安であった。

 

 16時過ぎ、早めに成田空港に着き、パスポートと搭乗券を旅行社から受け取った。

 成田は本当に誰もおらず、薄暗くシーンとしていた。電光掲示板も僕らの便だけが運航で、あとは欠航、欠航、欠航・・・。驚くべき光景であった

 

 2時間以上ラウンジでゆっくりし、その後チェックイン。

 21時過ぎに搭乗し、22時前に予定通り飛び立つことができた。11時間弱のフライトだ。

 消灯前に、僕の楽しみの一つ、機内食の時間があり、選択メニューを聞かれた。中東の飛行機なので豚肉は禁止なのはわかっていたが、聞き取れたのは「チキン」のみ。つくづく英語力のなさが身に染みた。

 席の周りは空き空き(すきすき)で、体を横にして眠ることができたのはラッキーだった。

 

 乗り継ぎ地、ドバイで有名なUAE(アラブ首長国連邦)の首都、アブダビに到着したのは、現地時間深夜3時すぎだった(ここは日本と5時間の時差)

 

 アブダビでは、8時間のトランジット。もちろん席はゆったり座れるし、少ないが開いている店もあったため、軽食をとることもでき快適だった。

 ここでは、気持ちのゆとりもでき、持ってきた二つのスマホとタブレット、そしてノートパソコンも出して、うつらうつらしながらいろいろ作業をしたりしていた。

 そうして時間をすごし、やっとリヤド行き便に搭乗。飛行機の中で、手持ち荷物の点検をしてみると、なんと、買ったばかりのタブレットがないのに気づいたのだった。しかし、英語力のない僕にはどうしようもなかった・・・。

 

 アブダビを飛び立ち2時間、昼の12:40にようやくサウジの首都リヤドに到着。

 

 通常は、飛行機を降りたらまずパスポートチェックだが、ターミナルに入る直前からながーい列ができていたので並んだ。少しずつ進み、ターミナルの空間に入って、それがPCR検査の陰性証明用紙提出の列だとわかった。

 医者なのか係の人なのか、とてもいかつい人が、用紙を受け取って凝視した後、行ってよいと言われたらやっとパスポートチェックに進めるらしい。僕らは、“緻密な観察”からそれらを予測し、検査用紙と機内で書いた書類を準備していたのだが、何も準備せずいかつい医者の所に到達してしまった人は、怒鳴られながら列の外へ追い出されていた・・・。

 

 その後はスムーズだった。迎えに来てくれた送迎バスで空港を後にした。

(つづく)