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 自分は話すのが得意だと思っていた。

 ところが、中1の3月、担任に勧められ出た生徒会立候補の舞台では、緊張のあまり一言も発せられない失態を演じ、当然、最低票で落ちた。自分は話すのが苦手なんだと認識した

 

 自分は書くのはあまり得意ではないとは感じていた。

 そんな中、高1のとき、いつもあほ話をしている友人の作文を読む機会があった。その内容の濃さと論調の格式の高さに、自分との格差を感じ、自分は書くのも本当に下手なんだと認識した

 

 バンコクに派遣され、学校はもちろん、大使館や日本人会のコンサートなど、いろいろな場で挨拶をする機会が増えた。話下手な僕が少しでも興味を持っていただく挨拶をするにはネタこそ命と思い、内容や第一声をいつも一工夫するようになった。

 2年目に、10歳上の先輩に、「お前の話はなんか聞いちゃうなあ」って言われた。もしかして、このやり方で話下手が克服できるかもって思えた瞬間だった

 

 バンコクから帰国し5年過ぎた頃、教務主任の先生が、今まで週報に載せておられたコラムをまとめた本を自費出版された。いろいろな本や文献や新聞から情報を得たものをエッセイ風にしたためたものだ。その内容の広さと深さに感動し、夜中の職員室で先生にその感想を話していたところ、「お前もいつも出してる学級新聞のエッセイがあるじゃないか。あの生徒向けの熱いメッセージ、集めて本にしちゃえ!」と無責任に応援され、印刷所も紹介してくださった。そういえば、担任や顧問として、便りや新聞に気ままにいろいろなことを書いてきたものが、熱いものからふざけたものまでたくさんある。のせられやすい僕はその気になり、その夜から精選作業に入り一気にまとめ上げ、一ヶ月半後には400部を20万円かけて自費出版してしまった。『ぼくの宝物たちへ』というそのエッセイ集は当時の生徒や同僚に全て無料配付した(というよりもらっていただいた)書くことっておもしろいなと思えた

 
担任の先生方は、文を書く相手がいる。目の前の生徒はもちろん、保護者だって先生と話したくて先生の話を聞きたくてうずうずしているもんだ。そういう環境を利用しない手はない。私など誰も読まないかもしれないこの文を書いているが、担任なら別だ。熱心な読者が、その真っ白な心で先生の語る言葉を待っている。もちろん、文ではなく“生の言葉”の方がいい話題もある。でも、逆に文のが伝わるものもあるし、なんといっても書きながら、自分の想いを整理し、自分自身に返すことができる


 朝の会で言えることをいちいち文にしたり、つまらない内容のものは、読まない生徒を作る。担任は、熱い思いをどう生徒にぶつけていくか、吟味しながら文を作ることで、学級経営の大きな見通しをも見えてくるんじゃないかな。私自身がそうであったように。
 
熱い文を書こう!