沖縄平和ツアー④ 名護市辺野古編 | くじらぐもびより

沖縄平和ツアー④ 名護市辺野古編

 
 
沖縄の名護市にある辺野古新基地建設のことを知っていますか?
沖縄県のホームページの中にも沖縄県が普天間飛行場の辺野古移設に反対する理由が書かれているのでぜひ見てみてほしい。
 
今日は少し早起きして朝ご飯。
Jさんが作ってくれたみそ汁とさよこのサーターアンダギーやクジムーチ
 
紫芋のクジムーチ(月桃の葉で包んでもち粉を蒸している)
 
フルーツの季節ではなかったけれど、ゆんてぃく市場に売られていたスターフルーツ
 
 
 
 辺野古の浜へ。今回本当は辺野古の新基地建設ゲート前抗議活動の座り込みに参加したかったのだけれど土日はトラックの搬入がないのでお休みだったのだ。 飛行機を事前に取っていて日程は動かせなかったのでどうしよう、と思っていたらちょうどタイミングよく辺野古のヘリ基地反対協議会からチラシが届いて、見てみたら土曜日に予約制で抗議船に乗船できるということで
初めて海の上へ。
 
浜のテント カヌー隊のメンバーと抗議船は2つ海に出た
 
 
 
 
 
 
 
 
不屈号を運転してくださったKさんとみみさんが案内人。 船に乗ってすぐ、海の底から無数の泡が地面からぽこぽこと上がってきているのが目に入った。
目に見えないけれど無数の命がいることが伝わってきた。
 
 
 
 
 
不屈号に乗船させていただいた
 
 
 
あっという間に沖へ
 
今日もまたまた曇り
 
海上保安庁のボート
 
 
この遠くに見える船も土砂を積み込んでいて、船からダンプトラックに移し替えて埋め立て中の海域に陸送するのだ
 
黒いボートが海上保安庁。 全ての抗議船やカヌー隊をぴったりマーク
 
 
 
 
 
 
 
本当はジュゴンもいたけれどジュゴンが食べるえさの海草が埋め立て工事でなくなったのでいなくなってしまった。 運がよければウミガメに会うこともあるそう。 ウミガメはここでは産卵できなくなったので場所を変えていそう。
 
 
 
 
 
途中、カヌー隊の方が4人乗船。 カヌーに乗っている時は性別も年齢も分からなかったけれど船に乗ってお話したら男性だった。 この方は週末仕事が休みで、土曜日はカヌー隊、日曜日はカヌー教室を開いているとのこと。 みんなどの方も自分の信念を持って自分のやるべきことをやっていて力をもらう気持ち。
 
船を降りた後、最後までオイルフェンスにつかまっていた方が千葉和夫さん(81) だったと後でお聞きした。千葉さんは2年前の10月に海上保安庁船に激突されて大けがを負わされ裁判をおこした方。 これは沖縄から帰ってきて知ったのだけれど私たちが抗議船に乗っていた日の朝も千葉さんが土砂を搬入する開口部から離れた海上のオイルフェンス外側に潮で流されないようロープと金具でカヌーを係留していたところ、海保職員に体を押さえつけられ、ロープを外そうとしていた指に本をねじり上げられ全治10日と診断された。
昨年12月も女性二人が全治2週間と全治1か月のけがを負う暴力行為を受ける事件があったばかり。
抗議船上で何かあった時のために動画を撮ってと言われていたのだけれど、
やるせなく感じた。 圧倒的な力の差がある中で抗議活動を委縮させるようなやり方はおかしいと思う。
 
このオイルフェンスの中に入ったら工事の機械が止まるので少しでも工事を遅らせることができるよう、一生懸命カヌーを漕いでいる
 
辺野古の抗議活動のドキュメンタリーをいくつか見ていたので海保の方や座り込みの方に暴力的な行為や差別的な言葉を投げかけているのを知っていたので緊張しながら船に乗っていた。 少しハラハラすることはあっても分かるような行為はないように見えてほっとしたが、旅を終えて知人の連絡から
 
 
大きなサンゴ。 真っ青な魚が泳いでいるのが見えた。
 
抗議船から降りて近くのHeaven Heavenへ。 一昨年辺野古に来た時も夜ご飯を食べにきたところ。
店主のりりーさんは東日本大震災の原発事故の影響から逃れるため、沖縄に移住。 辺野古新基地建設に揺れる沖縄の現状を知り、国が強行するやり方に疑問を感じ、辺野古にお店を構えることに。内装、外装も自分でやったのだそう。 
 
 
新基建設是非の立場関係なく、おいしいものは国境も人種も利害もないという思いを込めた店名なのだけれど、ネットのコメントの誹謗中傷やお店への度を越えたいやがらせなどが相次いでいることを聞いた。
私たちが訪れた日が最後の店名で、検索もしやすくなるようちゅらそばに変わるのだそう。
ちょうど那覇からいらしたご夫婦が座り込み行動がお休みだったからとここにごはんを食べにいらしていた。
りりーさんが話をしてくれないと、そんな裏側は気づかなかっただろう。
みんながここにご飯を食べに来てりりーさんを支えていけたら、と思った。
 
 
 
このジュゴンの帰る海の絵本を書いた浦島さんに会ってお話も聞けた。 辺野古は原発村と同じで大きなお金が動いていたり、地域の発展の考え方はそれぞれ違う、立場も違うことから分断が激しくなっている。 例えお金を手にしたとしても幸せになれるかは分からないし、基地の話がなければもっと平和にいられたかもしれない。 全国で基地問題だけでなく、形を変えていろいろな面で分断が起きていることが苦しい。
物事は一面から見ただけでは分からないということをつくづく感じる。
小さな声も何かの形で表さなければ無いことにされてしまう。
特に辺野古の運動は年月を重ねているし、おじいやおばあが体を張ってがんばっている姿を見るとちゃんとバトンをみんなで引き継がなくてはと思う。
私にとって辺野古は民主主義の根幹や基本的な人権が揺るがされ続けている場所だと思う。 沖縄の外いると米軍や自衛隊の基地の情報も少なく、沖縄の方の苦しみが伝わりづらい状況もあるし、温度差があると思う。 でも自分たちの場所から見えづらいことだからと軽視することで自分たちの暮らしにも確実につながっていて人間らしく生きる権利というのを奪われているとも思う。
おかしいことにはおかしいと声を上げられる世の中を目指していきたい。
長いものには巻かれるだけでない姿を見せてもらっている。
 
海の上から対岸に見えていた名護市辺野古 大浦湾へ。この場所は2019年日本初のホープスポットに認定された。海洋学者のシルヴィア・アール博士が立ち上げたプロジェクト、ミッションブルーが設定する海洋保護区のこと。
辺野古・大浦湾には5334種もの海の生物が棲んでいる。その中にはジュゴンをはじめ262種の絶滅危惧種が含まれているのだそう。
どんなに技術が発達しても人間がこんなに豊かなものは作り出せないのだから新基地建設は止めて、この海を守っていけたらいいのに。
 
ポトス
 
たくましい
 
 
きれいな浜の向こうにオイルフェンスに囲まれた辺野古新基地建設現場が
 
 
 
 
 
 
 
 
 
いつか海の中にも潜ってみたい
 
 
大浦湾を後にして、レンタカーで那覇へ。
道中、宜野湾市にある沖縄国際大学に寄ることに。
ここは2004年8月13日に在日米軍のヘリコプターが墜落した場所でもある。
墜落事故が発生した場所は、住宅密集地でもあり、事故機は上空で尾翼部分が落下、操縦不能のまま大学のビルに墜落、炎上。
事故後、消防 が消火後、米軍から立ち退かされ、大学構内が米軍によって占領時のように米軍の管轄・管理下に3日間置かれてしまった。
大学学長も市長、沖縄県警も合同による現場検証を求めても認められず、事故原因が特定されないまま、また同型のヘリコプターが9日後には使われてしまったのだ。
奇跡的に死者は出なかったけれど、一歩間違えればたくさんの方が亡くなってしまってもおかしくない状況だったということを知ってますか?
 
旅のメンバーのМさんが数年前に行った時には、まだ大学の壁に墜落した跡が残っていたのだそう。
私も一昨年の9月に沖縄の戦跡巡りをした時に浦添城(グスク)跡という小高い丘から国際大学を見たけれど遠くから見ただけだったのだ。
今回、初めて大学の構内へ。 今はヘリコプターがぶつかった壁は跡形もなくきれいに改修してあり、当時焼け焦げたアカギの木と校舎の壁の一部が残され説明板がたてられていた。
 
 ホテルにチェックインした後、夕ご飯を食べに国際通りへ。 あまりの都会さと人の多さに頭がくらくらしてきた。 那覇は東京みたいなんだな。
 
そうめんチャンプルーやお刺身、ジーマミー豆腐
 
ジーマミープリン
 
 今日はお風呂に入ったら即刻眠りの世界へ・・・  明日はいよいよ最終日