夏の化粧品CMにおける日焼け・紫外線に対する意識の変遷 その5 | RDクリニック大阪 やすのブログ

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自分自身の肌の細胞を培養・移植する皮ふ再生医療のクリニックです。

今回は1987年から見ていきます。
84年から86年は日焼けされたCMモデルさんばかりでした。
87年以降はどうなるのでしょうか。

1987年
カネボウ「くずせるものなら、くずしてごらん。」
      ●西山由美さん
      “夏のお肌をまもります 平らなピッタリ粒子
       カネボウ サンセラミィ”
資生堂 「センサー式ファンデーションの夏」
      ◯春田紀尾井さん
     ①“夏が来る 資生堂はセンサー式ファンデーション
       汗をさっと逃がして 仕上がりサラリ センサー式
       紫外線カット センサー式
       ソフトにのびて 肌色きれい
       資生堂フェアウィンドパクト 新発売”
     ②“夏が来た 日ざしが来た ソフトにのびて 肌色きれい
       ファンデーションはセンサー式
       汗をさっと逃がして 仕上がりサラリ センサー式
       紫外線カット センサー式
       資生堂フェアウィンドパクト 新発売”

この年のカネボウさんのCMは、モデルさんが海で遊んでいる場面
でした。確かに多少は日焼けしていますが、焼け具合がとても軽く、
これまでのカネボウさんのモデルさんたちとはかなり違います。
77年の夏目雅子さんから86年の鈴木保奈美さんまで、一貫して
しっかり日焼けしたモデルさんが出演されていましたが、その10年
の流れを転換させた始まりの年と言えます。ただし、キャッチコピーは
これまで同様に化粧くずれしないことのみ強調しています。
資生堂さんは86年の完全な小麦色であったものを、再度美白に
持って行かれました。ウインドサーファーたちが集まるビーチで、大会
が開かれているようで、春田さんがそのスタッフという設定です。
水着でいるにもかかわらず、日焼けしていない肌にみんなが目を
うばわれているというシーンです。これまで見てきた77年以降、美白
と日焼けの行ったり戻ったりが続いています。しかし、この87年は
資生堂さんも、これまでと明らかに違っています。
とうとうナレーションで、『紫外線カット』という言葉が登場しました。
86年のカネボウ「ちょっとやそっとじゃくずれない」のポスターで、
『紫外線をカットする』と書かれていましたが、テレビCMではこれが
初登場と思われます。

1988年 
カネボウ「夏はC」
      ●浅香唯さん
     “Cファンデーションは①、②、③、C
      カネボウのCファンデーション 感触もソフト”
資生堂 「とにかく仕上がりサラリです 
      そのうえ化粧くずれを知りません
      なにより日やけを防ぎます」
      ◯土屋里織さん
     “なにより日やけを防ぎます”
     『全然平気なんだよね』
     “すばやい仕上がり そのうえ化粧くずれを知りません”
     『くずれてないっと』
     “つきとのびがよく とにかく仕上がりサラリです”
     『すっごくサラッとしてんだよね』
     “サマーファンデーションは資生堂フェアウィンドパクト”

87年と同様に、浅香唯さんの日焼けの程度もこれまでたどってきた
中では、たいへん軽いものです。かつてはアイドルの方々は日焼け
していたのだなあと、現在はあまり見かけることがなくなった光景に、
しみじみとした懐かしさを感じました。いずれにしても、真っ黒になる
までは日焼けしない、という路線は継承されたようです。ここで補足
すべきことがあります。ナレーションの1、2、3、Cに合わせて、画面
に字が出ます。それは、
      ①紫外線カット
      ②日焼けによるシミ、ソバカスを防ぐ
      ③くずれにくい
というものです。カネボウさんもついにテレビCMで紫外線カットを
打ち出しました。
そして、資生堂さんはナレーションと土屋さんのセリフが交互に流れる
CMですが、最初から、なにより日やけを防ぐと強調しています。
これまでの夏の化粧品CMでは、化粧くずれをしないこと・化粧直しが
いらないことを第一にアピールされてきましたが、ようやくこの88年に
おいて、紫外線カットがそれらと同列もしくは超えて序列1位になった
と言えます。1988年は昭和63年で、翌1989年が昭和64年から
平成元年になった年です。カネボウさんと資生堂さんがCMで初めて
紫外線カットで一致した、この88年を、まことに勝手ながら、
「夏の化粧品CM紫外線カット元年」
と名付けたいと思います。

昭和63年は、青函トンネルと瀬戸大橋が開通し、日本列島が
つながった年です。東京ドームが完成した年でもあります。まさに、
時代が変わりゆく時でした。この少し前から、オゾン層破壊について
国際的な取り組みや対策の必要性が議論されるようになり、1987年
には、オゾン層を破壊する物質に関するモントリオール議定書が採択
され、1988年に日本ではオゾン層保護法が制定されています。
このような国際社会と国内の動向が影響を与えたのではなかったか
と考えられました。

3年分を取り上げたかったのですが、またも長くなってしまいました。
今回は2年間で終わります。紫外線カットの大きな流れが完成して、
89年以降どうなるのか、次回に持ち越します。