1月27日から日本に行っていて、昨日LAに帰ってきました。
26日(日本時間)の夜10時近くに、義母が永眠しました。
義父からグアムのダンナに連絡が行き、ダンナが夜中のうちにLINEしてきた模様。
27日の早朝、ワンコ散歩に行こうかと目を覚ますと、ダンナからのLINEに気づく。
亡くなる数日前から、昏睡状態に陥っていたので、近いだろうとは思っていたけど、やはり一瞬心臓が締め付けられる感じがしたわ。
29日がお通夜、30日が告別式と聞き、速攻その日のうちに日本に行く事に。
とは言え、ワンコをどうにかしなきゃ・・・。
まずは早朝だったけど、いつも緊急のワンコシッターを頼む下の息子にLINE。
ばーちゃんが亡くなったから、急きょ昼の便で日本に行くわ → ワンコ達をしばらく頼むわと。
いつもは起きていない息子は、なぜかふと早朝から目が覚めていたらしい。
息子たちも引っ越しがあったから、忙しいとは思ったけど、しゃあない。
とりあえず、犬OKの私のアパートに住み込みで、私の部屋含めて自由に使ってくれればええから、と。
昼11時35分発のフライトだったから、まずは朝のワンコ散歩済ます。
それからフライト予約して、息子に空港まで送ってもらう手はずにして、パッキング。
喪服は年末年始に日本に帰った際に買っておいたので、母に準備を頼む。
日本には28日夕方に着くけど、ダンナの実家まで向かうとなると、到着が夜遅くなるため、とりあえず横浜で1泊 → 翌早朝の新幹線で向かうことに。
新横浜の駅近くのホテルを予約し、母も一緒に行くと言うので、喪服やパンプス等持参ついでに、新横浜で一緒に泊まりましたわ。
翌日、ダンナの実家に着いて、すでに棺におさめられた義母に対面。
めちゃくちゃ泣いた。
いつも輪の中心的な存在の、明るい義母だっただけに、実家でその存在が感じられない、声が聞こえないのが、めちゃくちゃ違和感。
心の準備は出来ているつもりだったけど、アカンかったわ。
家族葬で済ます予定(義母の遺言)だったので、近隣の友達とかが挨拶だけは・・・と、たくさん訪れてくれた。
その後、無事通夜・告別式を済ませると、徐々に義母の死を受け入れられるように。
式の翌日まで母は一緒に滞在し、横浜に帰って行きました。
私とダンナは、その後3~4日滞在し、ダンナはグアムへ、私は横浜へ帰りました。
2月8日に人間ドックを予約してあったので、それを無事済ませ、翌9日には崎陽軒の工場見学に母と行き、昨日LAに帰る・・・ってな感じ。
自分の父親が26年前に亡くなり、ごく身近な人の死を体験したことはあったけど、義母の死もかなりこたえました。
残された義父も、高齢な上、心臓が良くないので、気になるわ・・・。
今後は、ちょこちょこ義父のとこに顔出しに行こうと・・・。
今、パチパチブログ打っている横の窓から、真っ青で穏やかなLAの空を見上げ、何て言うか無の状態?と言えばそんな気もするし、でも人生について?なのか何なのか、よう分からん気持ちや考えが、頭の中をグルグルしているような・・・。
悔いのない人生を送らなアカンなって事だけは、義母の死によって、改めて痛切に感じましたわ。
ってなわけで、今朝もちゃんと早起きしてワンコ散歩に行って、コーヒー淹れてしばらくぶりのブログ打って、今から朝ごはん準備や。