with 一風堂SAMURAI in自由が丘 | 果しなき流れの果に

果しなき流れの果に

文筆業を生業とする1970年生まれ。好き勝手ばかりしてきた20。人生について考え始めた30代。ここから先、40代は「誰かのために」をキーワードに書き続けます。弱い自分をさらけ出せる事を目標に進化前進。仕事の依頼も随時受け付けます。

 先日、自分の通うボクシングジムの戸髙会長(戸髙ボクシングジム)と映画プロデューサーの佐倉さん、今年からマネージメントをしてくれる事になった金君を誘い、力の源カンパニーの面々との食事会を開いた。
 場所は戸髙ジムのお膝元、自由が丘。力の源カンパニーのメンバーは、奥長さん、(斉藤)太一さん、(篠原)猛さんの3名。途中から自分にとってはトレーナーでもあるサンダー(伊藤)トレーナーも合流した。
 特別、何か目的があって顔合わせをしたわけでもなく、2月22日に戸髙ジムの興行があり、それに奥長さんを誘った所、「ぜひ!」となった。で、たまたま奥長さんと飲んでいた時、「今度、戸髙会長も誘って飲みましょう!」みたいな流れになり、「せっかくなら」と自分が公私共にお世話になっている佐倉さんも誘ってみようとなった次第(わかりづらい説明でスミマセン)。
 ちなみに佐倉さんは『有頂天ホテル』や、『チームバチスタの栄光』など、数々のヒット作を手がけた、日本を代表する映画プロデューサー。しかし気取ったところはなく、いつも自分の相談に乗ってくれる大先輩だ。
 戸髙会長とは、じつは戸髙ジムの練習生になる前、会長の現役時代から顔見知りだった。自分の福岡時代からの親友で、「越本隆志」という、やはり世界を獲ったボクサー(現在は引退しこちらもジム会長)がいる。隆志君と会合などに参加した際、戸髙会長(当時は選手)と会ったりしていた。
 
 前置きがかなり長くなった。
 
 で、そんな自分にとって大切な人たちに、奥長さんを筆頭にした「力の源」面々を紹介したのは、簡単に言ってしまえば、単純にどちらも好きな人たちだからだ。仕事がどうとか言う事は一切思わなかったし、そんな事はどうでも良い。
 自分が好きな人同士が会えば、きっとそれぞれも好きになってくれる。そこからまた新しい出会い、発見、感動、喜びなりが生まれるはず。そう思うしそうであって欲しい。
 実際、この日は僕にも新しい出会い、喜びがあった。奥長さんとはシンガポール、福岡、東京と、すでにさまざまな場所で会い酒の席にもご一緒させていただいていた。奥長さんは一見、飄々としていて柔和な笑顔が印象的だが、実際はバリバリ体育会系で、苦労は決して顔に出さないタイプだ。そこらのなんちゃってボクサー(自分はある意味そうなので恥ずかしいが)やなんちゃって格闘家より何倍も硬骨漢だ。そんな奥長さんが、「会津さん、戸髙会長との飲み会、自分の後輩もボクシングが好きなやつがいるので、誘って行きたいんですけど」と言い連れてきたのが、太一さんと猛さんだった。
 両人ともすでに面識はあったのが、落ち着いて話すのはこの日が初めて。太一さんは太陽。猛さんは月というのが印象で、タイプとしては対照的。ただし、両人とも、やはり奥長さんと同じで一本筋が通っている。ぶれない自分を持っていて、いや、というより、「ぶれない自分を求めている」ように感じた。本当久々に、良い時間を過ごさせていただけた。感謝。
 帰りの方向が同じサンダーさんと最終電車に乗り、自宅に戻ってからいろいろ考えた。
「なぜ楽しかったのかな」と。
 しばらく考えて答えが出た。結局、三人とも、どこかしこで河原さんと同じ匂いがするのだ。三人は間違いなく、河原イズムを継承していた。だから心地よさを覚えたのだ。
 と同時に、『力の源カンパニー』という会社の力強さの源は、彼らのような、親分を愛し、尊敬し、そして命さえ預けている面々である事を実感した。先日、TBSの『ひるおび』というワイドショー番組で、力の源カンパニー、および河原成美氏は、「不況でも強い会社、そしてその社長」として取り上げられていたが、河原氏は別に、「不況だからこう商売しよう」とか、そういった類の考えで商売はしていない。これから何度もこの言葉は出てくるとおもうが、まさに「ありがとう」を売っている。目先の不況を乗り越えるための計算などしていない。
 でも、だからこそ強いのだ。時代も、景気も関係なく、ただひたすら、自分の道を思い求めているからぶれないし、結果的に、それが商売に結びついているに過ぎない。

 3人(サンダーさんも含めれば4人)は間違いなく、「お金のため」という理由だけで力の源カンパニーという会社では働いてはいない。「河原成美」という稀有な経営者の下で、人生、生き方を学ぶために働いているように思う。
 男とは、人生とは――。そんな問いかけを自分たちにしつつ、その手本を、河原成美に求めている。自分は決して河原さんをヨイショして言っているわけではなく、本当にそう思う。でなければ、決して取材しようとなどとは思わない。というか、したくない。

 奥長さん、太一さん、猛さん。
 もっともっと、話してみたい事はたくさんある。
 僕もまた、「漢・河原成美」に惹かれる一人だから。
 そんな事を想った、自由が丘の宴でした。 FIN
$『果しなき流れの果に』河原成美取材記