サハラのオアシス・ガダメスとリビア探訪3 ベンガジ
【ベンガジ 】
古代ギリシア時代には植民地キレナイカの中心
都市であり、ヘスペリデス(後に近隣の4都市と
統合してペンタポリス)と呼ばれ、サハラ砂漠を
縦断するアラブ隊商の拠点となるとともに隊商路
の起点として繁栄。
それを象徴するように、ベレニケ跡地にプトレマイオス朝、
ローマ属州期の石墓が多数残っている。しかしその後は
隊商路の起点が西方のトリポリに移ってしまい、長い間
キレナイカ地方の小都市にとどまった。
だが20世紀初頭にイタリアに占領され、港湾が整備された
ことから、1930年代には商業上、軍事上の要地として重要な
位置を占めるようになった。またこの時期に多数のイタリア人
が移住した。第二次世界大戦が勃発すると1940年12月に
イギリス軍に占領されたが、ロンメル以下ドイツアフリカ軍団
により1941年1月、再び枢軸国側に落ちた。
この後も再三支配者が入れ替わり「振り子戦争」と呼ばれる
ことになるが、最終的にイギリス軍により占領されることに
なった。戦後はキレナイカ王国の首都となり、リビア連合王国
が成立した後は、トリポリとともに首都となった(複都制。国王と
政府機関は季節によって両首都を使い分けていた)。
1969年のムアンマル・アル=カッザーフィー(カダフィ大佐)
による革命による王制廃止にともない、首都としての地位を
失った。ベンガジはカッザーフィーへの支持が低く、2011年の
内戦の際には、この地が反カッザーフィー体制打倒の拠点に
なり、後に反体制派組織「リビア国民評議会」の本部が置か
れた。
しかし翌2012年3月6日にはベンガジでリビア東部の有力
部族や民兵組織の指導者らが会議を行い、自治を行うこと
を決定。「キレナイカ暫定評議会」の発足を宣言し、これに
対し国民評議会が国家を分断する行為として非難するなど
東西間の対立激化が懸念されている。
ホテルから見た朝の空。起きた時は、まだ朝日が
ホテルの朝の朝食。
バイキング形式です。
朝のホテルの窓からのベンガジの市内の方向の景色です。
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