ども。

 今日は、「常紋トンネル人柱伝説」について書いてみます。何か、昨日の記事といい、まるで売れないジャーナリストのようです。

 
 Wikipediaと、小池喜孝さん(1916.9.11-2003.11.28 元教員、歴史研究者)の記事を参考にしました。

 常紋トンネルとは、JR北海道石北本線の、生田原駅ー金華駅間にある、全長507mのトンネルです。

 建設は、大正元年から始まり、3年の工期を経て完成しました。

 

 このトンネル工事に携わった労働者の方は、斡旋業者から「簡単な仕事だから」と言われて騙されて連れてこられた人や、囚人が殆どだったようで、「タコ部屋労働者」というらしいです。

 タコ部屋労働者は毎日午前3時半から午後7時まで働かされ、人権を無視された過酷な扱いを受け、粗食重労働で病気にかかる人も多く、医薬も与られず体罰を加えられ、あまつさえ使役不能と見做された人は、一定の場所に監禁し、死者はそのまま次々と大きな穴へ投入されてしまうという残虐非道なことが、公然と行われたらしいです。工事中は、百数十人の若者が犠牲となり、トンネル付近に埋められているそうです

 その後は、やはりというか、、、怪談話があったそうです。

 常紋駅員の方たちは、信号の点滅をしに行くと、よく幽霊に出会ったと言ってたみたいです。

 あと、当時の機関士の話しだと、「走行中、機関車の前に血だらけの男性が立ちはだかったので急停車した。機関士が降りて調べると誰もいない。出発しようとすると、また現れるのでとうとう出発できず、他の機関士が代わって動かした。」
 他に、
 「雨の日に常紋トンネルを通ると、『腹減った、ママくんろ』という声が聞こえる」
 とのことです。


 1968年(昭和43年)の十勝沖地震で壁面が損傷し、1970年(昭和45年)にその改修工事が行われた。常紋駅口から3つ目の待避所の拡張工事の際、レンガ壁から60㎝ほど奥の玉砂利の中から、頭部に損傷がある人骨が発見された。ある保線員は、「みんなが『人柱だ』と言ってました。他にも埋まってる可能性があると思います。」と語っているという。


 タコ部屋労働者のことを調べると、1890年の夕張線工事から始まり、1946年のアメリカ占領軍に依る民主化政策までの56年間続いた様ですが、最も眼目があるのは1939年の「朝鮮人強制労働」と、1944年の「中国労工狩り」でしょう。

 この時期は労働力不足を補う為、中国人、朝鮮人をタコ部屋に収容し、まるでナチスの強制収容所の様な酷使、虐待をしていた様です。

 日本人も通州事件でヒドイ目に遭ってますけど、同じ人間がナゼ平気で虐待や惨殺が出来ちゃうのか、、、48年人間やってきても分かりません。

 あと。

 人柱は日本中至るところにあるみたいですナゼ古いトンネルが恐くて近寄り難いのか、、、何となく分かった様な気がします


 以上、「風化した事件 part2」でした。

恒例音楽話し

Choco-Boo Live!
KIYO*SEN
 
 2014.6.13 六本木BEE HIVEにて収録

 KIYO*SEN
 キーボード 大高清美
 ドラム   川口千里
 
 ゲストミュージシャン
   Eギター   矢掘孝一
 Eベース  渋谷有希子

 昨日届いてからというもの、繰り返し観てます。今日も2回観てしまいました。

 このユニットは、川口千里さんと、KASIOPEA3rd大高清美さんで成ってますが、大高さんはベースラインも弾いちゃいます。

 途中、ベースの渋谷さんと、大高さんの旦那さんでもある矢掘さんが加わりますが、皆さんMCがとてもお上手で、聴衆の笑いもシッカリ取ってます

 それでは、このDVDの代表曲であろうK.S.PROを聴いてみて下さい。カッコイイ曲です。