昨日の記事で、眠剤飲み過ぎて薬効が抜けない状態で朝からゴミ出ししたり、買い物行ったりしたことを書きましたが、その影響でちょいと失敗してしまったのです。
昨日の17:30頃、自宅の固定電話へ知らない電話番号の着信が4回かかってきました。最初の3回は、留守電に切り替わってもメッセージ無し。4回目でメッセージを言っているので聞いてみたら、管理会社からの伝言でした。内容は、駐車場所を間違えているので速やかに移動して下さいとのこと。
ひぇ~っ、一体誰だろう???
と思い、折り返し電話を掛けたけど、小心者のワタクシは5回コールしただけで切った。
慌てて外に出て、共用通路から駐車場を見ると、向かって右に2つズレたとこに停まっている。そして、玄関ドアにはこんな張り紙が。
直接言って下されば良いのに、、、。
また管理会社から折り返しの電話です。早急に車を移動することを伝えて電話を切りました。
何で間違えて停めたのか、、、。階段との位置関係で気が付きそうなのに。クスリの影響でホゲーっとしていて気が付かなかったんだろう。
Sさんの車はいなかったので、自分の場所に車を移動し、Sさんに謝りに行ったら奥さんが出ました。
ご迷惑をおかけしまして、申し訳ありませんでした、、、。
いいですのよおほほほほっ、という感じでした。Sさんちの奥さんは、とても明るくて社交的な方なのですが、何かとてつもない芯の強さみたいなのを感じる方なのです。だからコワイんです。普段ウラでワタクシのこと、何て言ってるんだろう。どーでもいいか。
恒例音楽話し
昨日、元奥さん(以降、友人と呼称することにします)からメールで、ヘルベルト・ケーゲル指揮の「バッハ管弦楽組曲第3番第2楽章『アリア』」の音源を添付してくれました。
これがまた筆舌に尽くし難い程の名演で、聴いていて目がウルウルしてしまいました。神々しいです。
こんな名演をするケーゲルっていう人は、どんなん人なんだろうと思い、調べてみました。
1920年7月29日ー1990年11月20日 ドイツのオーケストラ・合唱指揮者。
ドレスデンに生まれ、幼いうちから合唱団の団員となる。はじめはピアニストを志すが、第2次世界大戦中に東部戦線で手榴弾の破片を受けて負傷し、指揮者に転向した。
ドレスデン郊外のピルナで指揮者としての活動を開始後、まもなくロストックに移る。
1949年にヘルマン・アーベントロートのアシスタントとしてライプツィヒに招かれ、ライプツィヒ放送交響楽団、ライプツィヒ放送合唱団の指揮者となる。
アーベントロートの死去に伴い、1978年までライプツィヒ放送交響楽団の首席指揮者となり、その後ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者となる。
1979年に初来日。N響を指揮した演奏記録の一部はCDとして発売されている。
1990年、ドイツ再統一の直後、自らの仕事の場所が無くなっていったことへの苛立ちやプライベートなことなどで鬱状態に陥り、拳銃自殺。社会主義思想を持っていたとされる彼が、事実上東ドイツが西ドイツに吸収される形で統一したドイツの将来を絶望していたのも要因の1つではないかと憶測されている。
不謹慎な言い方ですけど、拳銃自殺なんてカッコイイですね。
個人的にはドイツ出身の指揮者というと、何となく無骨な音になる様なイメージを持ってしまいますけど、この音源を聴く限り、そんなイメージは払拭されてしまいました。
古典派から現代音楽に至る膨大な録音を残し、現代音楽に理解の少ない共産圏においてもそれらの普及に尽力した様ですが、あまり正当な評価を受けるに至ってないらしいです。
カイル・ベルトもそうだけど、知名度という点では損しているんじゃないでしょうか。
あと、この曲は自分からクラッシック音楽を聴かない人でも知っている名曲ですが、あまり知られてないことがあります。
この曲は、「管弦楽組曲第3番第2楽章『アリア』」であって、「G線上のアリア」ではありません。
「G線上のアリア」というのは、「管弦楽組曲第3番第2楽章『アリア』」をピアノ伴奏つきのバイオリン独奏の為に編曲したものの通称で、ニ長調からハ長調に移調されている為にバイオリンのG線(一番低い弦)だけで弾けちゃうことに由来します。
ま、ちょっと聴いてみて下さい。