昨日はいつもの様に、ルネスタ2mgを飲んで22:00頃就寝しました。
今のところ、薬は良く効いて眠れるのですが、半減期くらいに中途覚醒してしまうんですよ。(ルネスタだと、4~5時間)
もう、そーなってしまうとなかなか眠れない、、、。
しょーがないからスマホ見たり日テレNEWS24観たりしてると、そのうち眠いのと身体がダルイのと半々になり、そのまま眠るとヘンな夢見て6:30頃目が覚めるのが最近のパターン。今は仕事してないし、いつ起きてもいいので主治医にユーロジン出してもらって、ルネスタと両方飲んじゃおうかなぁ、ルネスタ貯め込んでるし、、、。
で、今はショパンのエチュード聴きながら、こーして日記(かなぁ)を書いてます。

ワタクシが心療内科を受診したのは去年の10月。
そーなるまでは色々ありまして、、、。

`12.4.10
当時ワタクシは、タンクローリーの運転手をしておりました。
12:15頃、走行中に見知らぬ電話番号から着信がありました。
ん、またまたヘンな電話だナァ!仕事中だし、ちょっと怒ってやろう」
と思って出てみたら、ナント、警察からでした。 (;´・ω・)
オレ、何かやらかしたっけ?????

交:「〇〇交番ですけど、西城まさとサンの携帯でよろしいでしょうか?」

ま:「ハイっ!」

交:「お母さまがおうちに帰る途中道に迷って訪ねてきたんですが、説明してもなかなか理解して頂けないものですからお迎えに来て頂きたいんですけど。」

え~っ!!!

ま:「あぇ、あの~、実は今出先でして、〇〇市にいるのですぐ  に行けないんですよーっ」 どーすりゃいいんだぁぁぁぁぁ


交:「他に家族の方はいらっしゃらないんですか?」

ま:「ワタシしかいないんですよぉぉぉっ」こまったこまった

交:「では親戚の方ではどうでしょう」

んなこと言ったって、ただでさえ親戚付き合い薄いのに頼めるかいな


ま:「では今連絡してみます」

交:「はい、お願いします」

ということで、母さんの実家に電話して、義叔母に頼んで事無きを得ました。

母は、そうなる以前から認知症の症状はあったのです。心配なので、交番事件以降はみまもりケータイを持たせたのですが、買い物の帰りに道が分からないだの、ウチがないだのという電話が、仕事中のワタクシに容赦無くかかってくる様になりました。

そして、ワタクシが精神を患ってしまうキッカケになってしまう様な事件が起こります。


'13.12.21
17:00頃、ワタクシは日報処理を終えて帰り支度をしていたところ、またいつもの様に母から電話がかかってきました。母からの電話の着信音は、植村花菜の「世界一ごはん」にしているのでケータイをバッグに入れている状態でもスグ分ります。

聞けば、買い忘れたものを買いに行ったら帰りの道が分からなくなり、
途中転んで左手首を骨折してしまったとの事。

絶望的でした。

自転車通勤だった私はイヤホンマイクをつけたまま、母が居そうな方向まで移動していたのですが、居場所を特定し、「そこを動くな」って言っても動いちゃうし、話の途中で耳からケータイを離しちゃうし、ホント困りましたが、そーしてる間も周りに何か大きな建物はないか、コンビニや看板は無いかを訊ねていました。すると、
「〇〇病院って書いてある」
と言うので、

絶対そこをうごくなーーーーーっ!!

そこを動いたら助けてやれねーぞ~っ!

と言ったら待っていてくれて、やっと捕獲日本語間違ってるかなぁすることができました。母は寒い中薄着でブルブル震えていて、左手首はクランクみたいに曲がってました。
幸い見つけた場所が病院だったので、警備室の方に当番医を調べてもらい、母を預けてから、自宅で車に乗り換えて母を当番医へ連れていきました。これで暫くの間、ワタクシは仕事を休むことになります。繁忙期なのにぃ、、、。

'13.12.24
母は手術入院することになりました。翌日、ワタクシは
仕事に出たのですが、11:30頃病院から電話が。
何だろう、、、。

:「環境が変わったことによって昨日の夜から興奮状態になってまして、認知症の症状が強く出てしまってるんです。今スグ来て頂きたいんんですけど」またそれかよぉぉぉぉっ.

ま:「ハイ、14:00くらいになってしまいますけど、なるべく早  
  く行きますんで、すみませんが宜しくお願いしますぅ」   

もうこれ以上病院に迷惑かけることは出来ないので、会社は休んで母さんに付き添うことになりました。
入院中、さすがに四六時中付き添うことは困難でしたので、ワタクシが家事の為外出するときは、母はベルトなどの拘束具でベッドに固定されました。これがまたギャーギャーわめくので頓服薬のリスパダールを飲ませて眠らせました。
ずーっと飲ませておけばいいのにって思いました。
         
’13.12.29
26日に手術した後、母は退院しました。
それからというもの、母と2人の生活は非常に大変でした。何せ、チョット目を離すとトンデモナイ行動を起こすものですから。

一番困ったのは、ワタクシが風呂に入ってるときです。

風呂からあがって脱衣室に出たら、ゴソゴソ怪しげな音が聞こえます。
何だろと思って脱衣室の戸をあけたら、母さんがギプスの外側の包帯を解き、キッチンで水をかけようとしているではあ~りませんか。

何やってるだぁ~っ

と言って、ふるちんのまま母さんを捕まえました。
夜中に脱走しようとするし、自分の持ち物を窓から投げるし、もう大変でしたよ。そんな状況の中、炊事洗濯掃除買い物しなきゃいけない訳ですから。
あとね、母さんギプスしてるから風呂入れないじゃないですか。初めてですよ、母親の全身を拭いたのは。


このままではね。あたしゃ仕事に出れないのですよ。しかも繁忙期ですよ、繁忙期。母が入居できる施設を探すまで会社は待っててくれるにしてもあまり迷惑かけられないし、もう退職しかないのかなぁって思ったのもこの時期でした。

'14.2.1
介護保険受給申請をし、自宅から歩いて5分のグループホームに入居させることが出来ました。特別養護老人ホームは安いけど、順番待ちが最低でも5年かかるって言うし、ほかに選択肢はありませんでした。とにかく、どっか空いてるグループホームに入居させようと。 そのあと、今度はワタクシが体調を崩すことになります。小学4年生のときにやった「自律神経失調症」みたいな症状が出てきたのです。3日に母を外来へ連れて行った後に出勤することにしました。

'14.2.4
お詫びのお菓子を沢山持って職場復帰しました。みんなに
「痩せたねぇ~っ」
って言われました。バタバタして体重計に載ってなかったので言われるまで分らんかったです。

その後、会社の管理者がワタクシの体調不良を心配し、冒頭に書いた様な状況に至った訳です。

今は仕事をしていませんが、何故無職になってしまったのかは次回書くです。