私は映画館で予告編を見て、この映画『エンドロールのつづき(原題:Last Film Show)』に興味を持ち、観てみたいと思いました。私は昔から『ニュー・シネマ・パラダイス』が大好きで、もう何度観たかわからないほど繰り返し観ています。イタリア語の音声で日本語字幕付きで観たこともあれば、英語吹き替え、日本語吹き替えでも観たことがあり、それぞれ違った味わいがありました。そうして何度も観てきたこの作品と、『エンドロールのつづき』は、どこか共通した空気感を持っていると感じました。きっと『エンドロールのつづき』も、『ニュー・シネマ・パラダイス』から大きな影響を受けているのではないかと思います。特に、古き良きフィルム時代の映画館を描いているという点では、非常に似たテーマを持っています。

 



ただし、舞台はイタリアではなく、インドのグジャラート州という、とても田舎の村です。その村から電車に乗って映画館に通う、学校をサボってまで映画を観に行く少年の物語が描かれています。その少年はとにかく映画が大好きで、その姿がとても印象的でした。私自身も中学生・高校生の頃、映画が好きで、電車に乗って映画館へ通っていた経験があるため、どこか共感できるものがありました。

この映画で印象的だったもう一つの大きなテーマは、母親の手料理です。チャパティがとても美味しそうに描かれていました。日本で「インド料理」と言うと、多くの人が「カレーとナン」を思い浮かべますが、実はそれはインド料理のごく一部に過ぎません。日本のインド料理店ではカレーとナンがよく出てきますが、インドの一般家庭にはタンドール窯がないため、ナンはあまり食べられないそうです。代わりに、チャパティを焼いて食べるのが日常です。さらに、レストランで見かけるようなカレーではなく、野菜をスパイスで炒めたような素朴な料理が多く、実にさまざまな食文化があることに気づかされました。

実は私自身、昨年南インドを10日間ほど旅行しました。いろいろな場所を巡り、多彩な料理に驚きました。確かにカレーもナンもありましたが、それらはごく一部で、もっとたくさんの種類の料理が存在していました。インドに住めるのではないかと思うほど、インドの料理に感動しました。ただ、水には注意が必要で、滞在5日目には水にあたってしまいました。いわゆる「デリー・ベリー」と呼ばれる症状で、後半の5日間はほとんどバナナしか食べられませんでした。それでも、インド滞在自体はとても楽しいものでした。

インドと言えば、ヒンドゥー教の信者が多く、宗教の話題は日常的に登場します。映画を観ても、やはりシヴァ神などヒンドゥー教の神々や宗教的な演出が多く見られました。インド映画全般においても、ヒンドゥー教の影響は非常に強く表れています。

インドでは、たとえばムンバイのような都市部では最新のライフスタイルが見られる一方で、田舎に行くと、今なお昔ながらの伝統的な暮らしが守られており、その対比がとても印象的です。ヒンドゥー教の寺院に足を運ぶと、人々が信心深く、宗教的な儀式を熱心に行っている姿を見ることができます。この映画にも、そうした宗教の影響が如実に描かれていました。

一方で、この映画を観ていて強く感じたのは、「どこの国でも子供は同じだな」ということです。学校をサボりたいと思ったり、少し悪いことをしてみたくなったりするのは、インドでも変わらないのだと感じました。

この作品を通して、インドの文化をしっかりと味わうことができます。『ニュー・シネマ・パラダイス』と同じく、古いものと新しいものが入れ替わる時に感じる、ささやかな哀しみや、古いものへの愛情が、静かに描かれています。

インド映画と言えば、華やかなダンスや歌が印象的なミュージカル的要素の強い作品が多いですが、この映画にはそうした要素はほとんどなく、物語は淡々と進行していきます。そうした意味では、インド映画としては珍しいタイプと言えるでしょう。私がこれまで観てきたインド映画には、ほとんど必ずダンスシーンが含まれていましたので、本作の静かな展開は新鮮でした。

ストーリーのテンポは速くはありませんが、だからこそインドの情景や風景をゆっくり楽しむことができ、映像のアーティスティックな美しさが際立ちます。観ている間、まるでインドを実際に旅しているかのような没入感を味わうことができました。

また、登場する子どもたちがとても可愛らしく、やんちゃで自然な演技をしていて、観ていてとても好感が持てました。

総じて、『エンドロールのつづき』は、映画への愛情、文化の継承、宗教的背景、そして子供の視点から描かれる世界が丁寧に織り込まれた、美しく詩的な作品でした。インドとフランスの合作ということもあり、静かで抒情的な雰囲気もあり、観る人の心にじんわりと染み入る映画だったと思います。

映画の詳細

 

エンドロールのつづき 
原題 Last Film Show 
監督・脚本 パン・ナリン (Pan Nalin) 
製作年 2021年 
製作国 インド、フランス 
上映時間 112分 
言語 グジャラート語(オリジナル) 

あらすじ

舞台はインド西部グジャラート州の田舎町。9歳の少年サマイは、駅でチャイ(紅茶)を売る父を手伝いながら暮らしています。厳格な父は映画を低俗なものと考えていますが、ある日、信仰する女神カーリーの映画を観るために、特別に家族で街の映画館「ギャラクシー座」へ行きます。初めて目にする映画の世界、スクリーンに映し出される光と物語にサマイは完全に心を奪われます。
その後も映画への情熱を抑えきれず、学校を抜け出しては映画館に忍び込みますが、やがて見つかり追い出されてしまいます。そんな時、映写技師のファザルと出会います。料理上手な母が作る弁当と引き換えに、映写室から映画を見せてもらう約束を取り付けたサマイは、映写窓から見える色とりどりの映画の世界にますます夢中になります。彼は単なる物語だけでなく、映写機から放たれる「光」やフィルムの仕組みそのものに強い興味を抱くようになります。やがてサマイは「映画を作りたい」という夢を抱き、友達と協力して廃品や盗み出したフィルムの切れ端を使い、手作りの映写装置を作り上げようと試行錯誤を重ねます。物語は、アナログなフィルム映写からデジタル上映へと移り変わる時代の変化と、それが人々に与える影響も描き出します。

監督と制作背景

本作は、インド出身で国際的に活躍するパン・ナリン監督自身の幼少期の体験に基づいた自伝的物語です。監督は少年時代、本作の主人公サマイのように、映画の「光」そのものに魅了されたと語っています。映写技師ファザルのキャラクターは、デジタル化の波によって職を失った監督の実在の友人、モハメッド氏がモデルとなっています。物語は、監督が過ごした1980年代の少年時代と、友人が経験した2010年頃のデジタル移行という二つの時代の出来事を融合させて構成されています。撮影は主に監督の故郷であるグジャラート州で行われ、キャストも同州出身者にこだわりました。主人公サマイを演じたバヴィン・ラバリは、約3000人のオーディションから選ばれた演技未経験の少年です。監督は、幼少期に初めて映画を観た映画館「ギャラクシー座」が倉庫になっていたのを発見し、撮影のために内部を復元しました。また、貧しいながらも創意工夫で物を作り出すインド特有の精神(ジュガード)が、自身の映画作りにも影響を与えていると述べています。本作は映画そのものへの深い愛情と敬意に満ちています。スタンリー・キューブリック、アンドレイ・タルコフスキー、スティーブン・スピルバーグ、黒澤明、小津安二郎など、数多くの映画監督へのオマージュや言及が見られます。

また、消えゆくフィルム映画の時代への郷愁と、それに伴う喪失感が色濃く描かれています。特に、映写機やフィルムがリサイクル工場で溶かされ、スプーンやアクセサリーへと姿を変えるシーンは、時代の変化の残酷さと諸行無常を象徴的に示し、強い印象を残します。

インドの田舎の風景、貧困、カースト制度(サマイ一家は最上位のバラモンだが貧しい)、厳格な父と優しい母といった家族関係、そして技術革新がもたらす社会の変化などが背景として描かれています。

『エンドロールのつづき』は、パン・ナリン監督自身の原体験に基づき、映画への純粋な愛と、失われつつあるフィルム時代への郷愁を描いた、感動的で視覚的に美しい作品です。典型的なインド映画とは一線を画す静謐な語り口ながら、普遍的な夢と成長の物語、そして時代の変化というテーマを深く掘り下げています。

 

こちらも読んでくださいね!