自分の気が外側に向いてると


あー。この人ってどうしてこうなんだろー


って思うよね

いらっとする


私が聞きたいのはそれじゃないのに

って


過去の状況を事細かく説明されて

「それがなに?」とイライラする


自分が正しかったそれをわかってほしいのだろうかとそれについてもイラっとする


イライラしてもオッケー

怒ってもオッケー

そんな自分もオッケー


イライラの元には私の望みがある


理由なんかはどうでもいい

誰が正しくて誰が間違っているかなんてどうでもいい

別に責任をとってもらおうなんて思っていないし

私の正当性を認めてもらいたいなんて思っていない


そういえば、私も自分に自信がないとき

人の基準に合わせていたとき

過去の状況を説明して、事実はこうだ!と自分の正当性を主張していたな


そんなとき、逆にイライラされていたなあ

「だったら何⁉️」ってね


過去って人によって記憶が違う

過去って人によって違う

事実が違うんだよね


そのとき誰かがこう言った

っていうのは、自分がそう言われた気がする

だけであって

本当にそうとは限らない


実際に

「できるって言ったじゃないか」

「可能性があるって言っただけです」

とか

言葉の受け取りはその人の自由で

自分のフィルターによって思い込む


だから

過去の事実も自分が思う事実と人の事実とは違う


まず

思い込みなんだと気がつくことが大切


だから

過去はどうでもいい

今どうなの⁉️


だから私はイライラしたんだなあ


トラブルの対処は

過去どうだったとか、あの時ああいったとか

それを言っても何の役にもたたない

今、どうなんだ

今、何をすればいいんだ

が一番大切だと私は思う


そっか

そのイライラ

思い込みに気がつくってことだったなあ


イライラの先

自分の希望は広い視野を持つってこと

トラブルの対処は焦らずオドオドせずどーんと構えてほしいこと