向田邦子「ゆでたまご」 | 近江の物語を君に捧ぐ

近江の物語を君に捧ぐ

近江を舞台に、近江に生きる人を主人公にした小説をひたすら書き続けている近江人、木村泰崇のブログ。

私たちの世代が

小学校の低学年だった頃までは、

公立の小学校、中学校には

今学校にあるような

支援学級のような

特別のクラスはなかった。


私たちの世代の頃は、

出産時のトラブルとか

幼い頃に大病などをして

脳や身体にハンディキャップを

抱えて成長してきている子どもは

多かった。

にもかかわらず、

支援学級はなかったし、

まだあの頃は

いわゆる養護学校のような場所も

田舎にはそんなになかったような気がするし、

それで

私たちの通う小学校の教室には

ハンディキャップを抱えている

子どもたちもいた。


私は、

そういう子どもたちと

同じ教室にいたことを

本音でもって

よかったと思っている。

(先生はさぞかし大変だったと思うが)



向田邦子さんは

私よりも

ずっとずっと上の世代であるから、

向田さんが小学校の頃は

私たちの世代以上に

同じ教室の中に

ハンディキャップを持つ児童は

多かったと思われる。


向田邦子の「ゆでたまご」という

短い随筆は、

そんな頃の話である。

(この前、紹介した随筆集

「海苔と卵と朝めし」の

中の1編)





向田さんが

小学校4年生の時である。

同じクラスに

片足が不自由で、片目も不自由で、

勉強もさっぱりできず、

背もとびぬけて低く、

貧しい家庭の女の子がいた。

秋の遠足だった。

みんなで校庭に集まっていた時、

子どものように背が低くて

手ぬぐいで髪をくるんだ

かっぽうぎを着た、

その女の子の母親が

級長をしていた向田さんのもとに

やって来て、

大きな風呂敷包みを差し出したという。

そして、

「これみんなで」

と、向田さんに押しつけてきた。


風呂敷の中身は

大量の

ポカポカとあたたかい

ゆでたまごだった。


遠足の列が

出発し始めた時、

校門のところに

見送る父兄から離れたところに、

不自由な片足で

みんなに遅れまいと懸命に歩いている

わが子をじっと

見つめる、

その

小さな小さな

母親の姿があったという。


向田邦子は

書いている。


[私は愛という字を見ていると、

 なぜかこの時の

 ねずみ色の汚れた風呂敷包みと

 ポカポカとあたたかいゆでたまごの

 ぬくみと、

 いつまでも見送っていた

 母親の姿を思い出してしまうのです。]



………………



私は、

恥ずかしながら、

こういう随筆が読んでいると、

泣けて

泣けて

仕方ない。


その小さな女の子が

その小さなお母さんが

目の前に

立ち上がってくる。


実は

今、こうして

向田さんの「ゆでたまご」のあらすじを

書いているだけでも

目からは涙が溢れてしまっている。(笑)