小説の中の固有名詞 | 近江の物語を君に捧ぐ

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近江を舞台に、近江に生きる人を主人公にした小説をひたすら書き続けている近江人、木村泰崇のブログ。

昨日は、
姫野カオルコが小説「青春とは、」の
中で、虎高を使ってしまっていること、
そして、
とにかく
その時代の固有名詞が
もうワンサカ出てきている
ことについて触れた。


小説の中の固有名詞。

私が
小説の中の固有名詞を
意識的に読んだのは、
っていうか目にしたのは、
もう間違いなく
村上龍さんのデビュー作
「限りなく透明に近いブルー」だ。

私は、
「限りなく透明に近いブルー」
という小説でもって、
ディオールも
ドアーズも
ジミヘンも
「パルムの僧院」も
フェリーニも
…………知った‼️


この村上龍さんが小説の中の文章に
固有名詞をたくさん使用することに
ついて、
中島梓さんが
群像新人賞の評論部門で
賞を受賞された、
村上龍とつかこうへいなんかを
論じた評論の中で、
触れられていたことを思い出す。


この「限りなく透明に近いブルー」以降、
日本の若い書き手が
小説を書くとき、
確かに
確かに
固有名詞の使用は
いっきに増えた‼️

しかし、
考えみれば、
昔の小説家も
固有名詞は
使っている。

たとえば、
梶井基次郎の「檸檬」には
京都河原町の丸善が
出てくる。
(私は、「檸檬」を読んだ後、
その丸善の画集のコーナーに
足を運んだ。笑)

織田作之助の
「夫婦善哉」には
自由軒のライスカレーが
出てきていた。


あの三島由紀夫は
確か「文章読本」において、
自分は小説の中に固有名詞は使わない‼️
って感じのことを書いていた。
固有名詞を入れると
小説が古くさくなる………って
感じのことを書いていた。(笑)
三島由紀夫は自分の作品が
50年、100年、200年……と
残り続けることを想定していて、
その時代の固有名詞を使うと
100年後の読者には
その固有名詞は化石のような
訳のわからないものにすぎなくなると
考えていた。(なるほど)


私は、
基本的に
固有名詞を小説の中で
使用している。
悪口じゃない限り
使っている。
(悪くいうときには、架空の名前に
している。笑)


村上春樹さんも
固有名詞をたくさん
使う小説家だ。




私は、
スバルのフォレスターとか
トヨタのプリウスとか
村上春樹さんが
登場人物たちに運転させる
車の
その固有名詞が
頭に
心に
こびりついて
こびりついて
たまらないのである。(笑)