村上龍の幼少期 | 近江の物語を君に捧ぐ

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近江を舞台に、近江に生きる人を主人公にした小説をひたすら書き続けている近江人、木村泰崇のブログ。

ひとりの小説家のことを
作品を通して好きになると、
その小説家のことについては
何でも知りたいと思うようになる………
特に
幼少期はどんなふうだったのだろう?
って、そんなことにまで
思いは及ぶ。

その幼少期への興味、関心は
ある意味
好きになった異性以上なのかも
しれない。笑
(好きになった異性の場合、
少なくとも私は、
その相手の「現在」だけを
見る………)


小説家の場合、
いったいどんなふうな幼少期を
過ごしたから、
この今のような作風が
生まれてきたのだろう?
ってベクトルでの
探求を
どうしても
してしまうのである。
(それは、殺人者の幼少期に
関心を持つのと似ている)


私は、
村上龍さんのファンである。
ハタチくらいの頃から
40年の長きにわたり
ずっとずっとファンである。

だから、
村上龍さんの幼少期についても
触れられている
今回の小説
「MISSING  失われているもの」
は、その部分だけでも
強く興味を抱いた。


……………………



(P130)
何度か母から聞いたことがあった。
わたしが、生まれてすぐのことだ。
共働きなのに、祖母が育児を手伝うのを
拒んで、母は、職場に、乳飲み子だった
わたしを連れていくしかなかった。
赤ん坊がいると迷惑だと感じた母は、
わたしを誰もいない放送室の机に、
転げ落ちないようにおんぶ紐でゆるく固定し、
朝の職員会に出て、授業に行った。
授業が終わると、急いで戻ってきて
お乳をやったそうだが、わたしは、
ずっと泣き続けていたらしい。
必ずおむつが汚れていて、空腹で、
不快だったのだ。…………


(P156)
だが、母が日直のとき、図書室で本を
読んで、そのあと言ったことは
覚えていなかった。
………小学校の図書室は、カーテンの
隙間から差し込む光と、古くなった
紙の匂いに充ちて、膨大な情報が整然と
並んでいた。一冊の本には一つの世界が
あることを知り、この部屋には圧縮された
何千という世界があるのだと、呆然とした
気分になるのが心地よかった。木野峠から
引っ越してから数年後、わたしは九歳か
十歳で、図鑑や童話、子ども用にアレンジ
された文学全集を、飢えた子どもが盗んだ
食物を急いでかみ砕き喉に詰め込むように、
読んだ。何千という未知の世界と自分だけが
存在する部屋、現実感が希薄になり、
さまざまな刺激が交錯した。…………